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ドアラが骨折 今季絶望

中日ドラゴンズ 借金まみれです
故障者も多く

セリーグで唯一
プレーオフ進出を逃したこと無いという
記録も風前の灯

そんな中
またも故障者が出ました
ドアラ

バク転の練習中に手の指を骨折

手術まで行ったそうで、
バク転は今季は絶望

それだけハードだったんだなと
着ぐるみを纏って曲芸をやるのは

公傷になるのかどうかは、来季の契約の問題に

それよりも新外国人と早々に再契約しているけど
これも失敗でしたね
確実に緩みました

他球団に取られた今年のトラウマが。。。

若手の野手は一向に育たないし、当面低迷するかも。


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吉川 光夫(よしかわ みつお) 北海道日本ハムファイターズ

吉川 光夫 北海道日本ハムファイターズの投手です。

潜在能力を認められつつも、伸び悩んでいた状態から
栗山監督との出会いによって、一気に開花 シーズンMVPをとりました。

日本ハムのエースとして、安定した活躍が続けられるか
それが今後の課題です。

背番号は34番
左投げ左打ち

身長 177 cm
体重 75 kg 
とそんなに恵まれた体格という感じではないですね。

生年月日は 1988年4月6日です。


そんな、吉川 光夫選手は
福岡県で生まれ育ち、中学生の頃から全国レベルの活躍を見せ始めます。

高校は地元を離れ、広島県の名門 広陵高校へ入学。
当然、エースとしての期待をされてのことです。
2年生からはエースとして活躍を始めますが、甲子園への出場は、叶いませんでした。

このころも、制球力はいまいちだったらしいのですが、
投げるボールの評価は高価く全国的に知られているという感じでした。

2006年 高校3年のドラフトで、
日本ハムは いまや日本のエースとなった田中将大投手の外れ1位として
吉川 光夫選手を指名

そのことからも、いかにプロから評価されていたのかがよくわかります。

2007年のプロ入り初のシーズンは、これからの可能性を感じさせる
輝きを放ちました。

最高球速150キロを超えるストレートが武器で
高卒1年目にもかかわらす、2007年6月8日 ヤクルト戦で勝利投手。
年間4勝を挙げ、
さらには、日本シリーズでも先発を果たすという快挙でした。

しかし、このあと長い低迷期へ入ってしました。
2008年~2011年 4年もの間、制球難に悩み
制球を気にすると球の勢いがなくなって打ち込まれる状態
まともに1軍で勝利を挙げられない状態で、1軍-2軍を行ったり
来たりするような選手になってしまいました。

2011年は斎藤佑樹の入団もあり、すっかり影の存在になってしまいました。
でも復活の兆しははり2軍では、投手として4冠を獲得。

そしてついに2012年 栗山監督になり 
ダルビッシュが抜けた穴を埋めるべく 吉川 光夫選手を指名
すっかりっ有名になったセリフ
「今年ダメだったらオレがユニホームを脱がせる」
「四球を気にせず、おもいっきり腕を振って投げろ」

これで覚醒しました。

2012年の成績は、
防御率はリーグトップの1・71
14勝を上げます
投球回は173回投げ、パ・リーグのMVPに輝きました。

球種(持ち玉)は、最高速が150kmを超えるストレート。
スライダー 主にはこの2つ。
カーブ、フォーク、チェンジアップも持ってはいます。

同期はハンカチ世代と言われる
斎藤佑樹 田中将大 と同学年、知名度では 吉川光夫 という名前は
あまり知られていませんでしたが、

プロでの成績では2012年で 斎藤佑樹 を一気に置き去りにしましたね。

今後の活躍次第では、日本を代表する左腕になれる存在です。

陽 岱鋼 (よう だいかん) 北海道日本ハムファイターズ

陽 岱鋼 (よう だいかん) 北海道日本ハムファイターズの外野手です。
背番号24番 

生年月日は1987年1月17日

ようやく大器が目覚めたという感じですね。
大型の野手として期待されていて、2011年シーズンぐらいから本格的な活躍を始め
(2010年はあまり目立った記憶が無いです)
栗山監督の意向もあり2012年は完全な中心選手でセンターを守ります。

元々は内野手でしたので、内外野どこでも守れるユーティリティープレイヤーでもありますね。もう内野へ戻ることはないでしょうが。

陽 岱鋼 (よう だいかん) 名前からもわかりますが、日本人ではありません。
台湾の国籍です。

2009年までは、陽 仲壽(よう ちょんそ)という登録名でした。
日本ハムファンじゃないとあまり知らないかもしれないですね。

また、2010年からの活躍を見ると、改名が大当たりしたのかもしれないですね。

選手としては日本人扱いです。
というのは、陽 岱鋼 が日本へきたのは、高校生の時。
福岡第一高等学校で野球部に所属して、甲子園で大活躍。

2005年 高校生ドラフト1巡目で、福岡と北海道の2チームが1位指名、抽選で北海道日本ハムが獲得しました。

中学まで過ごした台湾でも、小学生の頃からナショナルチームに選ばれていたのだそうで、才能はその頃から認められていたということのようです。

プロ選手としては2006年シーズンからですが、主にはイースタン(2軍)での活躍が中心でした。
やはり高校生野手ですから、1軍での活躍は難しいというのは世の常ですね。
ただしっかり2軍で結果を出しているので、非凡であることも間違いなかったです。

心機一転 陽 岱鋼 (よう だいかん) とかえて
2010年シーズンから、しっかりした数字も残し始め
2011年は外野で完全にレギュラーを掴んだといっていいでしょう。
ただバッティングは、粗さが残っていましたが
2012年はバッティングも好調オールスターに選ばれる活躍ぶり、この調子がこの先続けば本物といえるのかもしれません。

陽 岱鋼 (よう だいかん) すらっと背が高く 女性の人気も高いのですが。
彼女がいるいないとかではなく、すでに台湾の女性と結婚をしています。
お相手は、モデルなどで活躍した元タレントの謝宛容(シェ・ワンロン)さんで2歳年上です。
まだお子さんはいないようですね。

テーマ : 北海道日本ハムファイターズ
ジャンル : スポーツ

鳥谷敬 阪神タイガース

鳥谷敬(とりたに たかし) 阪神タイガースの内野手です。
背番号1番

阪神の内野の要 ショートを守り、打者としてもクリナップを担うまさに阪神の中心選手。
打撃も年々よくなってきていますし、相手にとって怖いバッターですね。
連続試合出場を継続中で、鉄人 と言われる日も近いかもしれません。

では、鳥谷敬のプロフィールから見て行きましょう。

出身は、何となく関西のイメージがありますが、東京の東村山市。
生年月日は1981年6月26日で、30代に入って来ました。

身長179cm
体重80kg と、プロ野球選手としては平均的なところでしょうか

出身高校は聖望学園高校 で、3年生の時に夏の甲子園に出場しています。
ショートが本業でしたが、場合によってはピッチャーとしても出ることがあったようです。
肩も強いんですね。

ただ、この時点では特に注目は集めず大学へ進学。
早稲田大学での活躍で、一躍プロの注目を集める存在に成長します。
6大学野球で 3冠王をとったり、ベストナインに5度選ばれるなど大活躍。

2003年ドラフトでは、自由枠で4球団の争いの末、阪神タイガースを選びました。
(ちなみに争った球団は、ジャイアンツ、ベイスターズ、ライオンズ)

2004年のプロ入り初シーズン
開幕スタメンショートで迎えます。
当時の阪神には藤本が活躍中で、正直実力的には微妙なところもありましたが、将来の阪神タイガースのことを考えてのことだったのでしょう。
1年目特に前半は、プロの壁にぶち当たりましたが、後半は成績も上がってきました。

その次の年以降は、完全に阪神タイガースのショートは鳥谷 となりました。
バッティングも下位打線から、中軸へとステップアップ
打率も順調?に伸ばしてきています。

特に統一球となった、2011年には、他の打者が軒並み数字を落とす中 3割を打ったのは非常に大きな価値があります。

守備はずっと安定していて、高い守備率を誇ります。
2011年の守備率は、遊撃手として史上最高を記録、もちろんゴールデングラブを取っています。

プライベートでは、2005年に高校時代の1歳上のマネージャーだった女性と結婚しています。純愛を貫いたというところでしょうか。
2006年には、長男が誕生しています。

が一度躓いています。
週刊誌に夜の3冠王と。。。結婚後ですから大変なこともあったのでは
球団からも注意をうけています。

今後は、野球で本当に3冠王取ってもらいたいですが、ホームラン王は若干厳しいか。
盗塁も増やしているのでトリプルスリー(3割 30本 30盗塁)狙うチャンスあるかも。

テーマ : 阪神タイガース
ジャンル : スポーツ

岡田幸文 千葉ロッテマリーンズ

岡田 幸文(おかだ よしふみ) は 千葉ロッテマリーンズの外野手です。
背番号66 

とにかく、その守備範囲の広さが魅力 センターへ飛んだ打球はことごとく捕球されてしまうので それを称して エリア66 とまで呼ばれたりします。
もちろん足も早いです。




また育成出身 選手で、初めて全試合出場を果たし、育成の星でもあります。

今の華やかな活躍からは程遠い苦労人でもあります。
そんな 岡田 幸文 選手のプロフィールを見ていきましょう。

生年月日 は1984年7月6日です。
身長  177 cm
体重が 70 kg スリムで身軽な感じそのままですね。

出身地は、栃木県塩谷郡
出身高校が作新学院 と、江川卓 投手の出身校で最近 結構強いです。

甲子園出場はなりませんでしたが、日本大学へ進学しました。

ここからが、苦難の連続
まず肘を痛めて、大学はすぐに中退。

地元に戻り 全足利クラブに所属 ここで約5年間を過ごします。
この間にも怪我があったり

なのですが運命的な出会いも果たしています。
かなり有名になりましたが、奥さんになる 由美子さんとであいます。
足利市の公務員で、市営球場の管理をしていた女性です。

スポーツ選手には最適な?年上のシッカリした方という評判です。

夫 岡田 幸文 選手の育成枠でのプロ入りには反対だっといいます。
年俸 200万円では家族は暮らしていけませんから・・・
ずっと公務員を続けられているそうです。

話を戻して、2007年に足利ガスの嘱託社員となりましたが、2008年のドラフトで育成枠6位で千葉ロッテマリーンズから指名を受けました。

由美子さんを説得する 
自身もかなり悩んだようですが、2年でダメだったらすっぱり諦める
さらに、足利ガスは戻ってきた場合には正社員として雇用すると言う後押しでプロ入りを決意。

異例?の単身赴任でのプロ生活スタート。

こんな状態ですから、ハングリーさも並大抵ではなかったでしょうね。
こっからはまさに下克上
1年目にみごと支配下登録され、背番号が3桁の132から 二桁の66になりました。
本当のチャンスが巡ってきたのは2010年 主力選手の故障でついに一軍での活躍のチャンスが。。

ここで、守備と足で、見事にチャンスをつかみ取ります。

2011年は最初からレギュラーとして活躍、ゴールデングラブ賞にはもちろん誰も文句はありません。

2012年の契約更改で年俸は、3200万円 育成時代から見れば10倍を超える金額に。
でも未だに、単身赴任です。。

残された課題は、バッティングでしょう。
もう少し 打率 出塁率を上げていきたいところでしょう。
それを達成したら、まさに日本を代表する外野手となれるでしょう。

このような選手が出てくるというのは、育成ドラフトもなかなかいい制度なのかもしれないですね。

今日もまたセンターへ打ったばかりにヒットを1本損する選手が。。。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

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