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松田宣浩 福岡ソフトバンクホークス

松田宣浩(まつだ のぶひろ)は、福岡ソフトバンクホークスの内野手です。
背番号 5
入団以来、ソフトバンクの主軸を打てるバッターとして注目を受けてきました。
2011年シーズンに、ほぼそれを確実にしたという感じがあります。

とにかくリストが強く、引っ張り専門という プルヒッターなんていいますが
まさにそれを地に行くような感じ。
ただ、2011年の転機となったのが、セ・リーグ 横浜ベイスターズから移籍してきた安打製造機 内川の影響。

そのバッティングを間近で見ることにより、引っ張るだけの打撃の意識に変化が出たそうです。

松田宣浩がソフトバンクの主軸打者としての地位を完全に築いたといえるでしょう。
ちょうどソフトバンクも 松中 小久保などベテラン選手の世代交代の時期に差し掛かっています。

では、松田宣浩 選手のプロフィールを見てきましょう。

生年月日は1983年5月17日
身長 179cm
体重 86kg
右投右打 のプレーヤーです。

滋賀県草津市の出身。




野球で頭角を表したのは高校のとき。
岐阜の中京高校で活躍 高校通算60本塁打という見事なかつやくでした。
ここでドラフト候補にも挙げられましたが、夢かなわず進学の道を選びます。

出身大学は 亜細亜大学 に於いても、ホームランの量産体制へ。
その時の東都大学野球リーグの本塁打記録 井口資仁の24本を超えるのも時間の問題と思われていました。
しかし、とある部員の問題で亜細亜大学は試合をすることができなくなり、2部へ降格もしてしまいました。
結局、亜細亜大学を1部へ戻すことは成し遂げましたが、そこまででした。
大学通算(1部リーグ)打率 .225 15本塁打 と微妙なところでしたが、松田宣浩の才能を見ぬいた福岡ソフトバンクホークスへの希望獲得枠でプロの道へ入ることになります。

プロ1年目の2006年シーズン
即戦力としての期待を裏切らず開幕スタメンに名前を連ねます。
しかし、シーズン通しての活躍はかないませんでした。

完全に頭角を現し始めたのは、3年目のシーズン 2008年 3塁手レギュラーを取りました。
シーズンオフには、九州朝日放送の柴田恵理アナウンサーと結婚しました。
活躍の裏には、こんな秘密があったんですね。

その後、怪我などもありましたが、徐々に打撃成績を上げつつ活躍をして来ましたが、どうしてもバッティングが安定しない感じがありました。

2011年が松田宣浩にとって飛躍の年になったのは間違いないでしょう。一番最初に書きましたが、内川の加入で刺激を受け、パワーに加えて一気に安定感を増します。
(そんなにおもいっきり引っ張るだけがバッティングじゃないと・・・)
4番を任せられることもありました。

プライベートでは、早々に結婚したので恋人がなんて話題はないですね。
子供は男の子が一人 奥さん似の可愛い子だそうです。

そう言えば、松田選手の特徴として目がありますね。
瞬き が時に気になります。
本人曰くもう気にすることはなく癖だそうですが、ドライアイ説も根強くあります。
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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

攝津正 福岡ソフトバンクホークス

攝津正(せっつ ただし) 福岡ソフトバンクホークスの投手です。
背番号50番

とにかくコントロールが素晴らしい。
ファンからセッツ様 と呼ばれるほどの中継ぎでの活躍。

では攝津正 のプロフィールを見てい行きましょう。

生年月日は、1982年6月1日生まれ
身長 181㎝ 体重 86㎏
プロ野球選手としては平均的な線ですね。

出身地は秋田県秋田市で高校も地元。




出身高校は、秋田経法大付属高校 名門ですね。
3年生の時に甲子園出場も果たしているんですねしりませんでした。

進路としては大学ではなく、社会人野球へ入って行きます。
JR東日本東北

でもエースとして活躍するようにもなり、都市対抗などへも出場して活躍
で ようやく、2008年のドラフト会議で5位 ソフトバンクホークスが指名。

社会人野球で8年間程度過ごしたこのですから。

2009年のプロ入り初シーズン。
開幕から1軍 中継ぎとしての地位を築いていくどころか、一年目から完全に中継ぎの主力投手になりました。

役割としてはセットアッパー
とにかく記録ずくめ
ホールドの球団記録 登板数も70試合 も球団記録。
文句なしの新人王

リーグ最多登板 最優秀中継ぎ投手 ですから当たり前ですね。




2年目も中継ぎで、1年目同様の活躍。
チームをリーグ優勝に導きます。

この年の契約更改で 攝津正 は、1億円の年俸を提示されました。
が、、これを拒否 プロは3年活躍して一人前だということで、異例のダウン要求。

成績からすれば、もっと貰ってもおかしくはないのですが・・・

プロ入り3年目 2011年シーズンは、チーム事情で先発へ転向。
これも見事にこなしています。
同じ打者と何回も対戦するので、その駆け引きが楽しいとのこと。
とにかく、そのコントロールに全くの陰りはありません。

摂津の持ち玉 球種は
ストレート カーブ スライダー シンカー あたりですね。
ストレートは140キロ台後半も出せるみたいですが、実際の投球では140㎞台前半くらいまでですね。
やはり、コントロールを重視している面があるのでしょう。

プライベートでは、結婚の噂は・・・無さそう。
ということで野球一筋できているみたいですが、社会人経験も長いので彼女くらいはいたと思うのですが。

ともかくあの正確無比なコントロールがあれば、これからも活躍は続きそうです。
あの独特のテークバックが小さな投球フォームは、コントロールに悩んだ時に築きあげたものだそうです。

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ジャンル : スポーツ

松中信彦 福岡ソフトバンクホークス

松中信彦(まつなか のぶひこ) 福岡ソフトバンクホークスの外野手です。
背番号3番
まさにミスターホークスといえる存在。
怪我に苦しめられていますが、その打撃はまだまだ健在です。
その練習のすごさは、チームの若手の手本にもなります。

現役選手としては、唯一3冠王をとったことがある選手です。
打率、打点、、ホームランの3つのタイトルを取ることがどれだけ困難なことかは、、


↑松中のバッティングフォームです。

では、松中信彦のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日 1973年12月26日生まれ
出身地は 熊本県八代市 という根っからの九州人というところも、福岡のファンにはたまらないところでしょう。

体重 183cm 体重95kg と、なんとなくもっと大きな感じを受けるのは、その存在感が大きいから。
左投げ左打ちです。

松中信彦の出身校は八代一高で卒業後に、社会人の新日鉄君津へ。
ここで才能を開花させ、1996年のアトランタオリンピックに出場し、活躍をしたことにより注目を集めるようになります。
1996年のドラフトで逆指名の2位で、当時は福岡ダイエーホークスでしたが、プロ入りを果たします。
入団してからは、木のバットへの対応に少し苦労しました。
チャンスがやってきたのが、1999年のシーズンに外国人選手の退団で定位置が一つ空きました。


↑松中使用のバットです。松中モデル。

ここのシーズンは、7番打者ながらホームラン23本を打ち、レギュラーの座を獲得。
そこからは、ホークスの主力打者として活躍。
2004年の三冠王をはじめとして、数々の打撃タイトルを獲得しています。
ただそこを頂点に、故障で膝などに不安がありフルシーズンをベストコンディションでプレーすることが難しくなって行きます。

2006年に福岡ソフトバンクホークスと7年契約を結び、現役生涯を同じ球団で終える覚悟をしました。

フルでの活躍は難しいですが、人格者でありチームの柱としての存在感は欠かすことのできないものです。

プライベートでは、2000年にフリーアナウンサーの林恵子さんと結婚しています。
音楽鑑賞が好きでエグザイルのファンということで、テーマソングに使っています。

ホークスの色んな意味の柱として、これからも期待されます。

大隣 憲司 福岡ソフトバンクホークス

大隣 憲司(おおとなり けんじ)は福岡ソフトバンクホークスの投手です。
背番号は28番です。
左投げ左打ち サウスポーです。
身長 175cm 体重 85kg

ちょっとぽっちゃりした体格から剛速球を投げおろします。
その姿から、かの大投手になぞらえて 江夏2世 といわれることもあります。


↑大隣 憲司の投球フォームです。


大隣 憲司がソフトバンクの投手陣に入ることにより、かなり層の厚い左投先発手陣になります。

杉内俊哉、和田毅と大隣 憲司で「新三本柱」、「左腕三本柱」となります。
この名前の並びは聞くだけで豪華ですね。

では大隣 憲司のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1984年11月19日生まれです。
出身地は京都府京都市南区。
出身校は高校が京都学園高校、大学が近畿大学 です。

高校生の時は、春の近畿大会の優勝まではいきましたが、甲子園出場は果たせませんでした 。そのころから”古都のドクターK”と呼ばれましたが、プロからの声はかかりませんでした。
そして近畿大学へ進学、ここで頭角を現し一気に全国区になりました。
全日本大学選手権で1試合19奪三振の大会記録をマークするなどの活躍。
関西学生リーグ通算41試合に登板し22勝11敗、防御率1.14、284奪三振でノーヒットノーランを達成しています。




2006年のドラフトでは、目玉選手として大隣 争奪戦が繰り広げられ、大学生・社会人ドラフト希望枠で福岡ソフトバンクホークスへ入団しました。
契約金 1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円です。

プロ入りして最初のシーズン(2007年)は、即戦力として期待されていましたが、故障がちで満足な活躍はできませんでしたが、初登板初勝利を飾るなど、その実力の片鱗は見せました。

2年目のシーズからは、先発投手としてローテーションに入り活躍をしています。
初完投や二桁奪三振どで、11勝を挙げる活躍。
2009年は二桁勝利に届きませんでした。

大隣 憲司の持ち球(球種)は、まずは何と言っても150㎞を超える速球(ストレート)に変化球がスライダー、チェンジアップ、フォークボールです。

大隣 憲司のプライベートはどんなんなのでしょう。
彼女とかいれば、そろそろ結婚でもする頃でしょうか。
プロ野球選手として、似ているといわれる 江夏投手のような活躍ができるでしょうか。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

和田 毅 福岡ソフトバンクホークス

和田 毅(わだ つよし)は、)は、福岡ソフトバンクホークスの投手です。
背番号は21番です。
オリンピックやWBCでの代表に選ばれる日本を代表する左腕の投手です。
独特のフォームから繰り出すストレートは、球の出どころが分かりにくく、キレもあるためとても打ちにくい投手ですね。
速球は最高速145キロメートル程度ですが、初速と終速の速度差が少ないので数字以上に早く感じられるとのことです。

和田 毅のプロフィールを見ていきましょう。
出身地は愛知県江南市となりますが、小学生の時に島根県出雲市へ引っ越しているので実質的に島根県出身といっていいかもしれません。
出身校は高校が島根県立浜田高等学校 [浜田高校]で甲子園へも出場し活躍しました。
1997年は2年生からエースとして、1998年にはベスト8まで進出しています。
このころの和田の画像や写真はたくさんあるでしょうね。
しかしこの時点ではドラフトにはかかりませんでした。
上腕三頭筋断裂があり球速が130㎞にとどかなくらいだったからです。


↑和田投手の投球フォームです。クリックすると拡大して見ることができます。

大学は早稲田大学に進学。
ここで才能が完全に開花します。
早稲田の「ドクターK」と呼ばれ、それまでの記録であった江川卓の三振記録443を大きく超え、476奪三振を記録しています。
早大野球部史上初の4連覇を達成しました。

2002年のドラフトで自由獲得枠で当時の福岡ダイエーホークスへ入団。
プロ入りの初年度から大活躍です。14勝を挙げ、日本シリーズで新人で初めての完投するという快挙もなしとげ新人賞を獲得しました。
その後も安定した成績を挙げています。

2005年にはタレントの仲根かすみ さんと結婚、2006年には長女も生まれています。


↑和田モデルのグローブです。クリックすると詳細が見られます。 

和田投手は社会貢献の活動へも積極的で、2006年から投球数×10本のワクチンを寄付するという活動をしています。
これが評価され第8回(2006年)ゴールデンスピリット賞を受賞しています。
これには本当に高く評価されています。

「和田毅杯少年野球大会」も主催しています。

年棒は元西武の松坂のペースを超えて
入団4年目で1億4500万円でした。
2008年のオフは8勝8敗で不本意なシーズンでしたが、2億3千万円で更改しています。

和田 毅はこれからも活躍が期待される投手です。
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