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西 勇輝 オリックス・バファローズ

西 勇輝(にし ゆうき) オリックス・バファローズの投手です。
背番号は63番

マウンドでの笑顔が印象的。
本当に野球が好きなんだろうなと思わせるものがあり嫌味ではありません。
キレの良いストレートが持ち味。
将来のオリックスのエース候補でもあります。

右投げ右打ち

肘の使い方が柔らかい投球フォーム

では西 勇輝のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1990年11月10日生まれ
出身地は三重県三重郡菰野町
出身高校はそのまま地元 三重県の菰野高校です。

身長180cm 体重80kg

菰野高校では2年生の時からエースとして活躍。
県内のライバルは宇治山田高校。
2年のときには負けましたが、3年の夏にはリベンジを果たし甲子園出場を掴んでいます。

この年2008年のドラフト会議でオリックスから3位指名を受けます。
プロ入りを果たします。
契約金5000万円
年棒500万円   で契約

2009年はプロ1年目 高卒のルーキーで投手ですから開幕1軍といううわけにはいきません。
普通のことですが、非凡なのはシーズン終盤で1軍昇格を果たし初登板します。
オリックスでは球団史上初めてのこと。
(ブルーウェーブ時代から数えれば現中日の平井 以来の快挙)

2010年に西 勇輝にとってひとつの試練が訪れます。
野球としては、中継ぎながら順調にキャリアを重ねていきます。
初先発を経験するなど。



ただ故障ではないのですが体調不良から来たものなのか 顔面神経麻痺 という病にかかります。
本人もかなり落ち込んだようですが、2軍調整していた捕手の鈴木には励まされなんとか克服します。
この時の経験が、マウンドでの笑顔につながったとのことです。
病で野球ができないのに比べたら 野球のできる喜びの大きさを知りました。 

2011年についに完全に才能が開花。

2011年4月17日、東北楽天ゴールデンイーグルス戦で先発して初勝利 
そこから4連勝を飾るなど安定して成績を残します。
新人王の権利まだ持っているならば、いちおしかも。。

持ち玉は、やはり切れの良いストレートが中心。
スライダー カーブ フォーク ツーシーム チェンジアップなどです。

まだまだあどけな感じも残る 西投手 
プライベートではどうなのでしょうか 彼女とかはさすがにまだ余裕が無いか。
高校生の時の同級生とか??
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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

後藤光尊 オリックス・バファローズ

後藤 光尊(ごとう みつたか)は、オリックス・バファローズの内野手です。
背番号は24。
打撃にはパンチ力があり長打が魅力で、守っては内野であれば全ポジションを守ることができるユーティリティーぶりを発揮。
監督から見ても使いやすい選手でしょうね。
フリーエージェントを獲得して、オリックスにとっては絶対に残ってほしい選手ですね。

では、後藤 光尊選手のプロフィールを見てみましょう。
生年月日は1978年7月27日生まれ。
出身地は、秋田県南秋田郡八郎潟町です。
中学は、八郎潟町立八郎潟中学校で、このときは野球とラグビーを掛け持ち、ラグビーでは名門校からの誘いを受けたほど。
それだけ運動神経がよかったんですね。


↑後藤選手の打撃フォームです。

ただ野球に進路を選んだわけですが、決してエリートコースという感じではありません。
秋田高校という進学校に進み、3年のときにはエースとして甲子園に出場を果たしています。
この時の進路は、プロから声はかからず、法政大学に入学。
しかし、先輩のいじめがあり大学を中退。
川崎製鉄千葉の野球部にはいり、都市対抗野球へ出場して準優勝、若獅子賞と三塁手部門での優秀選手賞を受賞する高い評価で一気にプロに注目される存在に。

しかし、後藤 光尊は2001年のドラフト会議においてオリックス・ブルーウェーブから指名されますが10巡目指名とあまり高い評価ではなかったです。

2002年プロ入り一年目から、開幕スタメン出場を果たし、順調なプロ野球選手としての生活をスタートします。(どれだけ本人が努力したかは、想像に難くないですね。)
そこから、順調に伸びていきましたが、故障や打撃の不振などもあり、完全にレギュラーの座をとるまでには至らず。
球団合併も経験しています。


守備の姿もいいですね。

内野のいろんなポジションをこなしながら、打撃成績も残してきています。
今の二塁手として完全にレギュラーを獲得したと言えるのは、2009年からです。
完全にオリックスの中核選手として、チームのリーダとしても地位を築いています。

派手な活躍のイメージがないだけに、いぶし銀の渋い感じがします。

プライベートでは、彼女とかの話はなかったのですが、元イエローキャブのタレントと結婚して、その妻との間に娘がいることを公表しています。

平野 佳寿 オリックス・バファローズ

平野 佳寿(ひらの よしひさ)は、オリックス・バファローズの投手です。
背番号は16番です。
オリックスの勝利の方程式を背負う存在となりました。
入団した年(2006年)から、先発としてチームを支えてきました。
岡田監督に代わった2010年シーズンから、救援投手として活躍をしています。
勝利の方程式“JHK”のHが平野投手のことです。
ちなみにKは岸田護。JはJ・レスターになります。


↑平野投手の投球フォームです。

平野 佳寿の持ち球(球種)は、ストレート、スライダー、シュート、カーブ、フォークボール。特に直球は、常時145km/h以上を超え最速155km/hを記録しています。

平野 佳寿のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1984年03月08日で、京都府宇治市の出身です。
身長186cm 
体重 84kg と堂々とした体格です。
出身高校は京都鳥羽高で、甲子園出場もしていますが、エースではありませんでした。
出身大学は京産大で、エースの座をつかみ大学ナンバーワン投手といわれるまでになりました。


↑クロックスのオリックス・バファローズ モデル なかなかカッコイイです。
画像をクリックすると詳細を確認できます。

当然プロの注目の的です。
2005年のドラフトで大学・社会人ドラフトの希望枠でオリックスに入団しました。
プロ入り1年目から活躍を見せます。
主力投手としてローテーションを守り、オールスターにも出場しました。
ただし、2008年シーズンは故障でいシーズンを棒に振ってしまいます。
肘痛で検査の結果、骨の断片が肘に入っている状態(遊離軟骨)ひじにメスを入れました。
その後、うまくコンディションがあがらず、低迷しました。
しかし、2010年には、先発からセットアッパーまたはクローザーを務めるようになり、安定した投球を見せています。

プライベートは、特に話題となるようなものもありませんが、怪我したときを支えてくれたりする彼女とかはいるのでしょうか。

T-岡田 オリックス・バファローズ

「T-岡田」(ティー・オカダ)はオリックス・バファローズの外野手です。
背番号は55番
オリックスの監督に岡田監督が就任したことから、同じ名字はややこやしいということで、公募で登録名が決まりました。
なんとも関西の球団のノリらしい感じがします。

本名は岡田 貴弘(おかだ たかひろ)、タカヒロの頭文字が”T”ですね。


↑t-岡田の豪快なバッティングフォームです。

では、T-岡田のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日 1988年2月9日生まれ。
出身地は 大阪府吹田市 のバリバリの関西人です。
そして何といっても 身長 186cm
体重 106kg という堂々たる体格です。
長距離砲として期待される所以でもあります。

出身校は、履正社高校で、1年生から4番を務め、高校通算55本塁打と活躍
浪速のゴジラと呼ばれ
大阪桐蔭高校の平田、辻内、近大附高校の鶴をいれて「浪速の四天王」とされることもあるほど将来を期待されていました。
ただ、大阪桐蔭の全盛のときということもあり、甲子園への出場はありません。

2005年の高校生ドラフトで、オリックスに1巡目で指名されてプロ入り。
契約金8000万円、年俸900万円でした。

プロ入りしてからは、高校生ということもあり即戦力としての一軍での活躍はありません。
ファームでも、本塁打も出るが三振も多く打率も2割台の前半、守備は失策が多くプロのレベルでは・・・でした。


↑売っているのですが、お値段いくら?? エーーーーッ (画像をクリックすると確認できます。)

転機となったのは、2009年のシーズン。
ウェスタン・リーグ本塁打王と打点王の2冠
アレックス・カブレラの怪我で一軍での出場を果たし(この時は大した成績残せず2軍落ち)、2度目の一軍登録でホームランを7本放ち、その長打力とともに存在感を示しました。

2010年のシーズンはキャンプから連日の特打、夜間練習、休日返上で自分を追い込んでいきました。岡田監督からもキャンプのMVPにえらばれました。

プライベートの話題はあまりありませんが、彼女なんていたりするのでしょうか。

T-岡田 期待通りの長打力も見せてきています。
今後、日本の主力打者として大きく育っていく選手なのかもしれません。
そう期待させる何かを持っています。

近藤 一樹 オリックス・バファローズ

近藤 一樹(こんどう かずき)は、オリックス・バファローズの投手です。
背番号65番。
バファローズの投手陣を支える一人となってきました。
投球数が多いのが特徴と本人自身が語っていました。
右投げ右打ち。

近藤 一樹のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は、1983年7月8日生まれ。
出身地は神奈川県相模原市です。
身長183㎝ 体重80㎏
出身校は、日大三高(日本大学第三高等学校)です。甲子園常連の名門校ですね。
その日大三高において3年時にエースとして活躍しました。
甲子園には春夏連続出場(第73回選抜高等学校野球大会、第83回全国高等学校野球選手権大会)して、夏の大会には同校の初優を果たします。
甲子園の優勝投手ですから、当然プロからの目も集まります。
2001年のドラフト会議で当時の近鉄バファローズから近藤 一樹はドラフト7順目で指名を受けます。


↑近藤 一樹の投球フォームです。

ちなみにこの時のドラフトでは、同校から内田和也、千葉英貴、都築克幸が指名を受けました。これは同一校からドラフト指名を受けた人数の最高タイ記録だそうです。

2002年シーズンからいきなり活躍というわけにはいきませんでした。
やはり高校生ルーキですから、指名順位から考えても将来性を見込んでということでしょう。
1年目は2軍の試合のみの出場。
一軍初登板を果たしたのが、2003年の最終戦です。
2004年にオリックス戦でプロ初先発・初勝利を記録しましたが、これが近鉄でプロ初勝利をあげたこととなった最後の投手なのだそうです。
分配ドラフトでオリックスへ。
ただその後の2シーズンは2軍では活躍しましたが、一軍での登板はほとんどありません。



チャンスが巡ってきたのが、2008年。
投手陣に故障者が相次ぎ、先発ローテーションの役割が回ってきました。

近藤 一樹は、ここで結果を残し2ケタ勝利をあげます。
球団にとってもいい意味でサプライズだったようです。
そこからは完全にローテーションピッチャーの座を獲得しています。

近藤 一樹の持ち球は、まずは主体となるストレートで140㎞後半の速さです。
これに変化球が、チェンジアップ、カーブ、スライダなどです。

プライベートでは、彼女がいるとかではなく、2010年3月に一般女性との結婚を発表しています。

近藤 一樹選手 これからは課題のコントロールを良くして、球数を減らしていきたいところですね。
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