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草野 大輔 東北楽天ゴールデンイーグルス

草野 大輔(くさの だいすけ)は、東北楽天ゴールデンイーグルスの内野手です。
背番号は12番です。
プロ入りした年齢はかなり遅い方ですが、楽天の野村監督に”天才打者”といわしめるほどバッティングセンスに非凡なものを持つプレイヤーです。

守備位置も内野だけでなく外野も守ることがあるというユーティリティープレーイヤーでもあります。


草野 大輔 選手のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1976年12月4日の生まれです。
身長が170cm 体重が80kgと、恵まれた体格というわけではないですね。
(この体格が社会人として素晴らしい実績を持っていても、プロからの声が掛からなかった原因といわれています。)
出身地は宮崎県延岡市です。
出身校は延岡学園高等学校 (延岡学園)ですから、甲子園の常連校ですね。
甲子園の出場経験もあります。
高校生のときにはドラフトの指名はなく、進路として社会人野球を選択しました。

ここからが、実は草野 大輔の苦労の初めりでした。
(幸運なのかもしれませんが・・・)
1995年、NTT東京硬式野球部にはいり東京都へ出てきましたが、1999年にNTT東京がNTT東日本に統合れることになり、次はNTT九州硬式野球部(熊本市)へ移籍しました。

しかし、さらに企業としての野球が終了して NTT西日本九州野球クラブとなり、そのまま所属しました。
またまた、そこも解散してしまい2001年 ホンダ熊本へ移籍しました。
どこかで野球をあきらめていたらプロへの道は開けませんでしたから、そんなところも 草野 大輔の非凡なところなのかもしれません。
ここから草野選手の活躍が始まります。
都市対抗野球にレギュラーとして出場、全日本代表に選ばれるまでになりました。
社会人最強打者と言われたこともありますが、プロからのの声がかかったのが2005年になります。


↑やっぱり応援するにはこれですね。
画像をクリックすると詳しく見ることができます。

楽天ゴールデンイーグルスから大学生・社会人ドラフト8巡目で指名されます。
この時点で草野 大輔 選手は、29歳で妻子(子供は娘さんが2人)ありということもあり、プロ野球選手を諦めかけていたところでしたのでかなり迷ったようです。

プロ入り最初となった2006年から一軍出場の機会は得ましたが、良い成績は残せませんでした。
しかし、2年目の2007年シーズンには、規定打席には届かなかったものの3割を超える打率を記録しました。
2008年は成績はいまいち振るいませんでした。

打撃スタイルは、アマチュア時代は長距離打者でしたが、プロ入りしてからはプロの球に対応するためにミート中心の打撃をしています。

草野 大輔 選手は天才肌だけに打ちだしたら止まらないでしょうが、不振になった場合いかに早く抜け出すことができるかがポイントでしょう。
30歳を前にしてプロ入りしたということは本人もかなり意識していて、同じような境遇の人の目標となるべく心がけているのだそうです。

プライベートでは、タレントの酒井瞳(アイドリング!!!14号)の従兄にあたるとのことです。
離婚の話も出ているようですが、公式には??でしょうか。
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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

鉄平 東北楽天ゴールデンイーグルス

鉄平は東北楽天ゴールデンイーグルスの外野手です。
1番バッターとしてチームを引っ張ります。
背番号は46番。

東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生したときに中日ドラゴンズから金銭トレードで移籍してきました。
もしかしたら移籍してきた選手の中で一番幸せだったかもしれません。


↑鉄平の画像です。クリックすると拡大します。

プロフィールは、生年月日が1982年12月27日で、出身地は大分県大分市です。
ちなみに本名は 土谷鉄平
身長は178cm 体重は78kg
出身校は大分県立津久見高等学校 (津久見高校)です。
九州では名門校ですね。
高校時代は甲子園こそ出場はなりませんでしたが、打率は5割を超えて、俊足、強肩と3拍子揃った選手で、九州のイチロー と呼ばれたりもしました。

2000年のドラフトで中日ドラゴンズから5位指名を受け、契約金6000万円 年棒600万円で入団しています。
中日では期待されていましたが、一軍では結果をほとんど残すことが出来ませんでした。
守備でもショートから外野へ移されるなどかなり伸び悩みました。
ウェスタンでは好成績を残せたものの荒木、井端がいたので、一軍での出番は代走程度となっていました。
この頃の鉄平の画像や映像などはほとんど無いと言っていいでしょうね。


↑鉄平の帽子です。グローブは? クリックすると大きくなります。

転機となったのが楽天への移籍。
ここで開幕スタメンでセンターのポジションをつかみました。
打撃は好調を維持して、完全にレギュラーとしての地位を確立です。

年棒も一気に跳ね上がり、220%UPの3200万円にもなりました。

2007年シーズンは3割を打つなど、九州のイチローと呼ばれただけのことはあります。

オールスターにも出場したり、球界を代表する選手になりました。
東北楽天ゴールデンイーグルスでも人気選手となり、楽天野球団主催の『2006年度MVP選手』となったり、鉄平がプロデュースした弁当『鉄平おにぎり(具なし)』が造られてりしています。
鉄平直筆手ぬぐいが付いているそうです。

9打席連続三振という記録も作ったりしていますが。。

野球への取り組みはとにかく真面目で練習熱心です。
野村監督にも休日に練習しているのは鉄平ぐらいなんていわれたりしています。
これだと彼女を作ったりする時間は無さそうですね。

鉄平は東北楽天ゴールデンイーグルスを代表する選手になりました。

岩隈 久志 東北楽天ゴールデンイーグルス

岩隈 久志(いわくま ひさし)は、東北楽天ゴールデンイーグルスの投手です。
右投げ右打ちですが、実は左利き。
背番号は21番。

近鉄とオリックスが合併して、楽天が誕生したときに、オリックスバファローズに残る選手にリストアップされまいたがそれを拒否、結局金銭トレードで楽天へ移籍となりました。

そんな経緯を持つ岩熊のプロフィールは、生年月日が1981年4月12日で出身地は東京都東大和市になります。
身長190cm 体重86㎏ でこの数字以上にすらっとした細い感じに見えますね。


↑岩隈 画像です。クリックすると拡大します。

出身校は堀越高等学校で、地区大会でベスト4が最高でした。
高校時代の活躍はありませんが、長身から投げおろす速球がスカウトの目に入ったのでしょう。
1999年のドラフトで当時の大阪近鉄に5位指名されました。
契約金4000万 年棒500万での契約となりました。

入団の年は一軍登録はありませんでしたが、150キロに迫る速球もありかなり期待をされました。
翌年から一軍での登板が始まり、一気にチームのエースと言えるような成績を上げていきました。

2007年までの通算成績は、57勝43敗となっています。
楽天イーグルスに移ってからは、故障がちで満足な働きができていませんでした。
当然エースとしての期待があっただけに完全に空振り。
年棒も2007年は1億1000万円まで下がりました。
岩隈と野村監督との関係あまりいい感じではなかったですね。
期待の裏返しなのでしょうが


↑岩隈使用グローブ ナイキ製です 

2008年は遂に復活しました。
シーズン20勝の快挙を達成しました。
最後の最後に21勝いきましたね。背番号と同じ勝ち数。
最下位争いをしているチームで出ること自体すごいことです。
岩隈の考え方も変化していて、「一人で野球をやっているわけではない」と気付いたと本人が言っています。

私生活ではすでに結婚しており、お嫁さんは広橋公寿打撃コーチの長女まどか さんです。
子供は一人いて長女 羽音(うた)ちゃん 趣味に子供と遊ぶことと入れているくらい子煩悩です。

そんな家庭はもしかしたら両親との関係の裏返しなのかもしれません。
かなり両親との関係は良くないという話がありあます。
岩隈 久志は創価学会の会員ということも週刊誌で報じられたこともあります。

アテネ5輪は代表に選ばれましたが、北京五輪では調子がいいのにもかかわらず落選しました。日本がメダルを逃したことと併せて、岩隈を選ばなかったことも批判の対象になっていますね。

パリーグの投手はID (岩隈 ダルビッシュ)というひともいます。
個人でオフィシャルブログも開設していますね。
岩隈の画像や写真だけでなく、娘さんもちょっと写っていたりもします。

田中 将大 東北楽天ゴールデンイーグルス

田中 将大(たなか まさひろ)は、東北楽天ゴールデンイーグルスの投手です。
背番号は18。
愛称は マー君。
マーくんと書くと、千葉ロッテマーリンズのマスコットになってしまうので要注意。 

田中 将大 本人が書く”気持ち”という公式ブログがあります。
ファンにはマー君のちょっとした一面が見えるので、面白いでしょうね。
好物は オムライス 

田中 将大が使っているグローブはメーカーはミズノです。
ミズノプロ 田中将大 マー君モデル 2GW18811(47)で価格 48,000円します。
さすがに高いですね。お遊びとして買うことは難しいです。


↑田中 将大 画像 クリックすると拡大します。

田中 将大の球種は150kmを超えるストレートと、変化球がスライダー、フォークが多いですが、カーブ、横変化のスライダー、ツーシーム・ファストボール(シュート)も投げられるとのことでかなり起用ですね。

プロフィールを紹介します。
生年月日は1988年11月1日生まれ。
身長 186cm
体重  90kg  になります。

出身地は兵庫県伊丹市です。

小学校は昆陽里小学校で野球は昆陽里タイガース 中学校は伊丹市立松崎中学校で、野球はボーイズリーグの「宝塚ボーイズ」でした。
出身校ということいなると、駒澤大学附属苫小牧高等学校(駒大苫小牧)ですね。
甲子園での活躍は言うまでもないですが、やはり決勝戦 早稲田実業の斎藤佑樹(ハンカチ王子)との死闘は記憶に残ります。
15回までいくも決着つかず再試合となり結局3-4で駒大苫小牧で敗れました。

甲子園での田中 将大の動画や画像とか写真はたくさんありますね。

2006年のドラフトで田中 将大は目玉でした。
日本ハム、オリックス、横浜、楽天の4球団から1巡目指名を受けて、楽天が抽選で交渉権を獲得して、契約金1億円+出来高5千万円 年棒1500万円という、社会人の1位指名と同じ待遇というすごさです。

2007年のルーキーシーズンは、ドラフトでの評価が正しかったことを裏付けるものとなりました。
11勝7敗で新人王を獲得、奪三振数196となりました。
レッドソックスの松坂大介以来の快挙です。
ただ、田中 将大が投げると打たれていても、なぜか負けがつかない強運ぶりを発揮していました。最強エースと言えるかもしれません。

野村監督(ノムさん)曰く、”マー君、神の子、不思議な子”だそうです。

契約更改で年棒は推定で6000万円になりました。
もっともリッチな10代かも知れません。
2008年シーズンは2年目のジンクスがありましたが、本人は気にしないように振る舞っていました。
オリンピック代表(五輪)にも選らばれ、メダル獲得は逃しましたが田中 将大にとって貴重な体験になったことは間違いないでしょう。

勝ち星は2桁に届くうかどうかですが、投球内容からすれば実力が上がっているのは間違いないところでしょう。

CMでもオロナミンCに上戸彩と共演、彼女にピッタリかもと思わせる面白いCMでした。
他にも出ていますね。
富士通「FMV」では木村拓哉、野村克也監督と共演しています。


↑田中将大 ヒーローのすべてという本も出ているし。

ともかくすごい選手になってきました。

長谷部 康平 東北楽天ゴールデンイーグルス

長谷部 康平(はせべ こうへい) 選手は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する左投げ左打ちの投手です。
背番号は20番。

簡単にプロフィールからいきます。
生年月日1985年5月21日 
身長173cm 体重70kg とプロ野球選手としてはかなり小柄な投手ですね。
岐阜県関市の出身になります。


↑長谷部康平の画像。クリックすると拡大します。

出身校は杜若高校(とじゃく)で、中日ドラゴンへ入団した山内壮馬とエース争いをしていました。甲子園への出場はなりませんでした。
愛知工業大学(愛工大 愛知工大と略される)へ入学し 3年生ごろからエースとなりました。

北京五輪プレ大会に選ばれ優勝におおきな貢献をしました。
北京五輪アジア予選には唯一のアマチュアとして選ばれました。
このころから俄然、長谷部 康平という名前が全国区になり、メディアでも取り上げられて映像や写真が出るようになりました。
プロとして通用する即戦力投手としても認識されましたね。

2007年の大学・社会人ドラフトにおいて中日・広島・ロッテ・西武・楽天の5球団から1位指名され、くじの結果 東北楽天ゴールデンイーグルスが交渉権を獲得しました。

長谷部 康平の球種としては、直球とスライダー、チェンジアップの組み合わせが基本です。
直球は150kmを越えます。

2008年オープン戦は、好調でしたが、左ひざ半月板をいため開幕一軍入りはならなかったです。
8月19日、対オリックス・バファローズ戦でようやく初勝利を挙げるも、期待されたような活躍は出来ていないですね。

2008年シーズン は 1勝4敗 防御率9.93となり、散々な結果といえるでしょう。
プロの壁は厚いことがわかったでしょうから、長谷部 康平が今後どのように伸びてくるか
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