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赤松 真人 広島東洋カープ

赤松 真人(あかまつ まさと)は、広島東洋カープの外野手です。
背番号は38番です。
広島での外野の一角を担う選手になり、オールスターに出場するなど球界を代表する野手に育ってきています。

右投げ右打ちで、身長は182㎝ 体重は73㎏です。
足の速い赤松を感じさせる身長の割に軽い体重ですね。


↑赤松選手のバッティングフォームです。


それでは赤松選手のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1982年9月6日生まれです。
出身は京都府京都市伏見区になります。

出身高校は平安高校で、甲子園でもたびたび聞く名門校ですね。
2年生のときに、甲子園に出場しており、チームはベスト8まで勝ち進みました。
高校卒業時に、実は広島カープからプロの誘いを受けていましたが、それを断り大学へ進学しました。
立命館大学では、野手として活躍、関西学生リーグの記録を作るなどしました。
4年生のときには、主将を務めリーグ優勝を果たしています。

プロ入りは2004年のドラフトで、阪神タイガースから6順目の指名を受けました。
契約金5000万円、年棒800万円で契約しました。


プロ入りしたシーズンから、2軍で大活躍。
、いきなりウエスタン・リーグ首位打者・盗塁王・最多得点・最高出塁率の4冠を獲得という偉業を果たします。
2年目もウェスタンで活躍・・・
ただ阪神では、一軍の外野手層が厚く出場がとても少ない状態でした。
特に赤星外野手、赤松で赤という字がかぶっていることもあり、期待もされいたのでしょうが。

2008年1月6日に赤松 真人に転機が訪れます。
阪神から、新井貴浩のFA移籍の人的補償で広島へ移籍することになりました。
(阪神も赤星選手が2009年をもって引退することは、想定していなかったでしょうから後悔しているのではないでしょうか。)

2008年シーズンから、広島の外野手としてレギュラーを獲得。
結果的に広島の水が合ったということもあるようで、のびのびとプレーできるようです。
打撃のほうはまだまだの部分がありますが、守備に関しては俊足で守備範囲が広く、肩も強いと貢献は高いです。
それゆえか、派手なプレーが少なく印象が薄いのかもしれませんが、守備の数字はゴールデングラブ賞をとる選手よりも優れたものもあります。

赤松 真人選手の課題は、打撃の好不調の波を小さくしていくことでしょう。

赤松選手のプライベートに関しては、2007年に同棲していた彼女とすでに結婚しています。
興味深いのは、藤森中時代において歌手の倖田來未さんと同級生で、野球チームで倖田と二遊間を組んだこともあることと。
立命館大学においては産業社会学部産業社会学科では倉木麻衣と同じクラス。
なぜか、有名人と縁があるということですね。。
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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

大竹 寛 広島東洋カープ

大竹 寛(おおたけ かん)は広島東洋カープの投手です。
背番号は17番です。
2009年シーズンについに目覚めました。
それまでも、広島東洋カープのエースとなると目されていた逸材です。
43イニング連続無失点という素晴らしい記録を打ち立てました。

大竹 寛のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1983年5月21日生まれです。
出身地は埼玉県八潮市です。
身長は183cm 体重が85㎏です。


↑大竹 寛の癖のない投球フォームです。
クリックすると拡大できます。

出身校は浦和学院高学校で、たびたび甲子園で名前を聞く高校ですね。
ただ、大竹 寛 自身は甲子園へは一回行っていますが、その時は2年生でエースではなかったので登板自体はなかったようです。
それ以降、チームのエースとなりましたが甲子園出場の一歩手前までしか行くことしかできませんでした。
しかし、その能力の高さは評価されていて、高校の日本代表に選ばれ、2001年に広島東洋カープからドラフト1位指名を受けました。
契約金が8000万円 年棒600万円でした。

プロへ足を踏み入れ、即戦力とも期待されましたが、実際には思惑通りには進みませんでした。
一年目の2002年シーズンは故障があり、一軍登板はありませんでした。
翌2002年に一軍登板を果たしますが、僅かに3試合ですが初勝利を挙げています。
高卒ルーキーと考えれば、まずまず順調とも思えます。
2004年は中継ぎ中心に活躍をして、2005年からは、チームの先発主力投手として育っていきます。



広島東洋カープのチーム状態もあったでしょうが、勝ち星より負け数の方が遙かに上まわってしまいます。

ともかくプロが認める素晴らしい球を持っていながら、成績に結びつかない状態です。
ストレートは150キロを超え、プロでもトップクラス、変化球も切れて、コーチなどもどうしても使いたくなるような素材なのでしょう。
持ち球は、ストレートとキレのいい高速スライダーを中心にシュート、フォーク、カーブ、チェンジアップなどの球種を持っています

とにかく好不調の波が激しく、試合の中でも四球を突然連発したり、コントロールというか、その投球のムラが激しいのです。
四球を出し、カウントを悪くして、球を置きに行き痛打される。
こんなパターンが多かったのです。
2005年シーズンには100失点を超えるという、あるいみ偉業をも成し遂げてしまいました。

こんな状態から2009年は一変します。
チェンジアップを完全に自分のものとして、投球の幅が広がり余裕ができたようです。
冒頭に書いたように、連続無失点記録をうちたて、広島のエースの地位を築きつつあります。
(2008年に黒田博樹がメジャーへ移籍したときからエースの期待を受けていました。)

投手として打撃も得意であり、野球センス自体がかなり高いことも伺われます。

プライベートでは、まだ未婚です。
彼女とかはいるのでしょうか。
皆藤愛子さんにあこがれているなんて噂もありましたが・・・

大竹 寛(おおたけ かん)は日本を代表する投手となる可能性をもった投手です。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

梅津 智弘 広島東洋カープ

梅津 智弘(うめつ ともひろ)は、広島東洋カープの投手です。
背番号は39番。

広島の貴重な中継ぎで、セットアッパーとして大活躍です。
長身で手足が長くサイドスローから投げるので、打者としてもとても打ちにくいのでしょうね。
梅津投手の独特の投球フォームです。

梅津 智弘 選手のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1983年3月3日生まれで、桃の節句 お雛様の日ですね。
出身地は山形県上山市です。
身長が191cm 体重が88㎏と、長身ですらっとした体型です。
手足も長くモデル体型です。
(実際に学生時代にモデルにスカウトされたこともあるとか。)

出身校は山形県立 上山明新館高校と野球ではほぼ無名といってよい学校ですね。
当然、甲子園への出場経験もありませんので、画像や写真は無いに等しいです。
その後、國學院大學へ進学 ここでも野球を続け、才能が開花します。
東都2部リーグではありますが、完全試合を達成するなど活躍をします。
これがプロの目にとまって、2004年のドラフト会議で、 梅津 智弘は広島東洋カープから6位指名を受けます。


梅津 智弘はプロ一年目の2005年シーズンから、開幕一軍入りを果たします。
貴重な広島の中継ぎの一角として、不可欠の存在となっていきます。
実力も付けてきていて、速球は入団当初は140km程度でしたが、140km中盤まで出るようになってきています。

梅津 智弘の持ち球(球種)はストレート、スライダー、カーブ、シンカー、シュートを投げ分けます。

長い手足とサイドスローという変則的な投球フォームを最大限にいかして、2008年シーズンには、64試合の登板数を記録しています。

プライベートでは、彼女がいるどころではなく2007年のシーズンオフに、モデルやタレントとして活躍している若林翔子さんと結婚しています。

広島のホーム球場も広くなり、ピッチャーとしてはホームランをうたれる可能性が減りましたので、思いきって投げることができます。

梅津 智弘の活躍する姿をますます見ることができるでしょうね。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

高橋建  ニューヨーク・メッツ

広島へ戻り 現役引退

高橋建 はニューヨーク・メッツの投手で、メジャーリーガーです。
背番号は36番
不惑のメジャーリーガーです。
40歳を超えての挑戦でしたが、見事メジャーへでのデビューを果たしました。
40歳を超えてメジャーへのデビューを果たしたのは、高橋建が史上3人目という快挙です。

高橋建 選手のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1969年4月16日の生まれです。
出身地は神奈川県横浜市戸塚区ですから、都会育ちですね。
身長は183cm 体重が90㎏です。


出身校は横浜高校で名門校ですね。松坂投手の大先輩といことにもなります。
そこから拓殖大学へ進学して、東都リーグで野手として活躍していましたが、4年生から
投手として活躍するようになったいうとても珍しいパターンですね。
(バッティングは野手顔負けのところがあるんですね。)
残念ながら、この時点では投手としてのキャリアの浅さもあったからかもしれませんがプロから声はかかりませんでした。
高橋 建 投手は社会人野球のトヨタ自動車で投手として活躍が続き、日本代表にも選ばれました。
1994年のドラフト会議で、広島東洋カープから3位指名を受けて念願のプロへの道を切り開きました。

広島東洋カープでのプロ一年目の1995年シーズンから、一軍での登板があり先発、中継ぎ、抑えと様々な役割を果たします。
広島に在籍しているときに、高橋 建 投手の役割はこれといったものがなくて、先発に回る年があったり、中継ぎ専門のような年があったりと、ある意味器用に役割を果たしてきたと言えるでしょう。
だから目立った投手部門のタイトルはとっていないんですね。
広島在籍が14年になり、2008年シーズン後にメジャーへの移籍を希望してFA宣言を行いました。(権利自体は2004年シーズンに獲得しています。)

↑高橋建モデルのグローブです。画像をクリックすると詳細が見られます。

高橋 建 投手の投げる球種(持ち球)はベテランらしく豊富で、ストレート、カーブ、スライダー、スクリュー気味のシュート、シンカ―、フォークを投げられます。
左右上下と使えるのはかなりの武器ですね。

メジャー契約での移籍は、やはり年齢から行っても難しく招待選手としてブルージェイズのキャンプに参加しますが、故障があって満足な活躍する場面もなく解雇されていまいます。
そしてニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、3Aで結果を残してメジャー昇格を果たします。

日本人で見ると桑田真澄 投手よりもさらに高齢でのメジャー登板にもなります。

高橋 建 投手は、40歳を超えても150km近い速球を投げて、そのボールに勢いの衰えは見えません。
投手としてのデビューが遅い分、肩がまだ使い減っていないという説もありますが、ともかくすごいことであります。

中年の星といわれるくらいに、メジャーで活躍を見せてほしいですね。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

栗原健太 広島東洋カープ

栗原健太(くりはら けんた)は 広島東洋カープの内野手です。
背番後は5番です。
広島東洋カープの4番打者で、球界を代表するスラッガーです。
日本人が4番を務めること自体がかなり少なくなってきていますから、貴重な存在ですね。
(日本人から見れば、外国から来た打者が4番に座るチ-ムが多いですからね。パワーでどうしても劣って見えますからね。)

栗原健太のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1982年1月8日生まれです。
身長が183cmで体重が95㎏です。
出身地は山形県天童市で数少ない?山形県のプロ野球選手です。
一時は栗原健太一人の時もあったようです。
出身校は日本大学山形高等学校 (日大山形高校)で、その身体能力の高さを見込まれてスカウトされました。
甲子園の出場はありますが、目立つ活躍は見せることはできませんでした。
しかし、その才能に注目があつまり1999年のドラフト会議で広島東洋カープが3位で指名しました。


↑広島 栗原 バッティングフォーム画像。

栗原健太は高卒ルーキーとして入団してやはり一軍で活躍するまではそれなりに時間がかかってしまいました。
ただ体力は入団当時からプロのトップレベルに近いものがあり、足も速いと来ればやはり期待されるものも大きいものだったでしょうね。

2000年から2003年は怪我もありましたが、2軍では3割を超える打率を残してきていました。一軍へ定着し始めたのは2004年ごろからになります。
栗原健太はパワーとバットコントロールが素晴らしく、打率はコンスタントに3割を超えますが、長打率も5割程度であるということは驚異的なものがあります。

広島からの主力打者のFA移籍などもあり不動の広島の4番を打つようになったのは2008年からになります。

↑栗原のバッティンググローブです。クリックすると詳細情報があります。

栗原健太の愛称は”コング”ということで、、、、、
外見からしても画像を見ればわかりますが、ピッタリかもしれません。

プライベートとしては彼女・・ではなく、すでに結婚していて子供もいます。
2004年にホームランガールと結婚しているのですが、ホームランを打って知り合ったのでしょうか。。。

球界を代表する打者に育ってきた広島東洋カープの栗原健太 球場も新しくなり、そろそろ打撃のタイトルが何か欲しいところですね。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

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