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山口 俊 横浜DeNA

山口 俊(やまぐち しゅん)横浜DeNAの投手です。
背番号 11番

横浜DeNAの守護神 クローザーです。
ストレートとフォーク ツボにハマれば、誰も打てない投手。
三振も取れる。
投手としてのクローザーの適正はあります。
ただ、まだ若干 不安定な部分が残っています。
悪い時にいかに仕事をを果たしていくことが出来るかが課題でしょうね。




では、山口 俊のプロフィールなどを見て行きましょう。
身長 187cm
体重 90kg
スラリと背が高く手足も長いですね。
大分県中津市の出身。

父親が元力士ということで、体が大きいのは何となく納得ですね。

生年月日は 1987年7月11日で年齢的にはまだまだ若いといっていいでしょう。

山口 俊の出身校は柳ヶ浦高校

高校時代から、素質は素晴らしく、2005年の選抜高等学校野球大会で球速は150km超を記録しています。
3年の時には肘を痛めましたが、それでも横浜ベイスターズの評価は下がること無く
2005年のドラフトで高校生1位指名しました。

プロ入り後は、高校生ということを考えると順調に力をつけてきていると言えるのではないかと思います。

プロ入り1年目の2006年から1軍での出場
初登板 初先発 それも巨人戦 で初勝利。
その可能性を大いに感じさせてくれましたが、その後は不安定な投球内容。

2008年からは中継ぎにまわり、セットアッパー クローザーとだんだんと重要な役割を任されるようになって行きました。

2010年からは完全にクローザーとして定着。
30セーブを挙げるなど素晴らしい成績。

これからは、日本を代表する投手として伸びて行って欲しいですね。

プライベートでは、彼女や車に関してネットで話題になったりしているみたいです。
が、そんな目立った報道などはないですね。

年棒は2012年 1億円に到達していて、当然この年令で考えれば大きな収入ですからね。
車とかが好きであれば、高級車に乗りそうですね。。

DeNA横浜 チーム自体の成績が厳しい状況が続いていますが、主力選手として、長く活躍して欲しいですね。
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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

石川雄洋 横浜ベイスターズ

石川雄洋(いしかわ たけひろ)は横浜ベイスターズの内野手です。
攻守にわたってチームを引っ張る中心選手に成長して来ました。
背番号7番と、52番から変更になりました。
俊足でチーム一番の盗塁数を記録して、2010年はリーグのトップを走っています。
打撃も好調ですし、横浜ベイスターズ首脳陣の期待が伺われます。


↑やはり走る姿がかっこいい 石川雄洋選手。

石川雄洋のプロフィールを見て行きましょう。
生年月日は、1986年7月10日生まれで、出身地は静岡県駿東郡清水町になります。
身長 183cmで 体重 78kgです。
出身校は、横浜高校です。
西武のエースとなった涌井秀章と同級生です。

横浜高校ではベンチ入りを果たしたのが1年生というところが非凡さを感じさせます。
まさに横浜高校全盛の時代です。
2003年のときには春の甲子園において、レフトで出場し準優勝。
2004年夏にはベスト8まで進んでいます。
この活躍がプロの目に止まり、2004年のドラフトで横浜ベイスターズから6巡目で指名を受けてプロ入りを果たします。


↑バッティングフォームです。
バットは、ヤクルトの青木選手と同じモデル。
グローブは、ヤクルト宮本選手のものをもらったことがあるようです。

石川雄洋がプロ入りしてから活躍を始めるのには、時間が掛かりました。
やはり高校での野手となると、最低数年は掛かる気がします。
2005年シーズンは、一軍での出場機会はまったくありませんでした。
2006年のシーズン終盤に、ようやく初出場を果たします。
2007年は、チャンスがありましたがケガでシーズンの大半を棒に振りました。
大きなチャンスが巡ってきたのが、2008年。
石井琢朗の故障でショートの出場機会が巡ってきたり、村田修一が北京オリンピック出場のためサードを守ったりしました。
2009年には、ショートのポジションを掴みレギューラーとなりました。
応援歌も新しくなり良い年でしたが、打撃、守備共に大きな課題を残したシーズンでもありました。

石川雄洋のプライベートでは、彼女の噂もありましたが・・・
宇賀なつみ アナウンサーと付き合っているという噂が、一部ネットでなどで話題になりましたが、本当のところはよく分りません。

横浜ベイスターズの中心選手として、確固たる地位を築けるかは、ここ一、二年が勝負でしょう。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

工藤公康 横浜ベイスターズ

工藤公康(くどうきみやす)は横浜ベイスターズの投手です。
背番号は47番。
ハマのおじさん とも呼ばれています。
プロ野球選手として、現役選手としては勿論、歴代でもトップ3に入る高齢の選手です。
40代のなかばを超えてきています。
一軍での実動年数も27年となり最長記録を更新中です。
これまでに獲得したタイトルは多数ありますが最多勝だけは獲得していないのは不思議なことに思われます。


↑横浜の工藤投手の画像です。クリックすると拡大して見ることができます。
工藤投手の投球ふぁおむは完成されたもので、参考にするプロの選手も多いです。

工藤公康 投手のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1963年5月5日生まれ。
出身地は愛知県豊明市になります。
身長は176cmで体重は80㎏で、そんなに体格的に恵まれているというわけではないですね。
左投げ左打ちです。
出身校は愛工大名電高(名古屋電気高等学校)で、甲子園で活躍してノーヒットノーランを達成するなど(金属バットになってから初めて)で、投手としてチームをベスト4まで導いています。

プロへは1981年のドラフト会議で西武ライオンズが6位指名。
その時点で工藤公康は社会人野球 熊谷組への就職を発表していましたが、西部の根元マジックといわれる強行指名でした。
本来はドラフト上位で指名されて当たり前でした。
そのかわり契約金、年棒はその時のドラフト1位よりも上だったといわれています。

1982年からプロでの生活がスタートしました。
入団した年から一軍での活躍をはじめ、西部ライオンズのエースとして黄金時代を支える投手となりました。


↑工藤公康が長く活躍できる秘密の一端がありそうです

そんな中、1994年にFA宣言をして当時の福岡ダイエーホークスへ移籍。
王監督の下でも主力投手として活躍、優勝、日本一に貢献。

さらにさらに1999年2回目のFA権行使で巨人へ移籍しました。
巨人でも工藤公康は、ローテーションを担うピッチャーとして活躍しチームを優勝に導いています。
まさに優勝請負人ともいえる感じですね
2004年には200勝を達成しています。

2006年以降は故障などでなかなか思うような活躍をできていませんが、オフシーズンに巨人がFAで獲得した横浜ベイスターズの門倉投手に人的保証選手として移籍しました。

2008年シーズンは肘を故障してほぼ一年を棒に振りました。

2009年シーズンは年棒も5000万円まで下がりましたが、現役投手としてプレーを続けます。

自分の体の手入れは怠らず人の何倍もの気をつけていることがきっとこの年齢まで現役投手を続けられている原動力になっています。
食事、トレーニング・・・
全くそんな年齢を感じさせない動きと球の勢いです
子沢山であることも有名ですね。

石井 裕也 横浜ベイスターズ

石井 裕也(いしい ゆうや)は横浜ベイスターズの投手です。
背番号は44番。

2008年シーズン途中で、横浜の外野手 小池との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍してきました。

あだ名ではないのですが、通称 ”サイレントK”と呼ばれる石井 裕也投手ですが、実は耳に障害があって、音は補聴器を使ってほんのわずかに聞こえる程度とのこと。
生れながらの先天性の難聴であるとのことです。

そんな石井裕也がバッターからたくさんの三振を取るので、サイレントKと呼ばれているのです。


↑一度読んでみませんか。クリックして確認してください。

石井選手のプロフィールです。
生年月日が1981年7月4日生まれです。
身長が178cm 体重が71kgです。
出身地は神奈川県横浜市港南区と横浜ベイスターズのお膝下。
出身校は横浜商工高(横浜商工高等学校)今は横浜創学館高と名前が変わっているらしいです。
高校時代は、甲子園出場こそなかったものの、3年の夏には県大会でベスト8まで進みました。
この時にすでにプロのスカウトの目にはとまる選手だったようです。
ただ無名といえば無名なので、石井投手の高校時代の映像や画像はあまりないですね。

そこから三菱重工へ入社して、社会人野球の道へ、チームは三菱重工横浜硬式野球クラブとなりましたがそのまま在籍をしました。
都市対抗には補強選手として他の企業の一員として出場して活躍をしました。


↑石井裕也の中日時代ですが、クリックすると拡大します。

2004年のドラフトで6巡目で中日ドラゴンズから指名を受けました。
中日はこの順位まで残っているとは全く思っていなかったようです。
やはりハンディを他の球団は気にしたのでしょうか。

契約金が6000万円 年棒が1200万円で契約してプロの世界へと入りました。
2008年の年棒が1800万円です。

石井裕也の持ち球(球種)は直球(ストレートが)140km代中盤くらいまで出て、変化球がスライダーがほとんどです。基本はこの二つで、あとはシンカー等も投げれるようです。

中日ドラゴンズでは左の中継ぎとして、入団した年から一軍で投げましたが、シーズンを通しての活躍がなかなか出来ない状況でした。
特に右バッターに対する投球は大きな課題です。

横浜ベイスターズは、もともと地元ですし環境も変わって、守護神 寺原の前のセットアッパーとして活躍中です。
先発もこなす能力もあるので今後はどんな活躍を見せてくれるのか、同じような難聴などの聴覚障害を持った人たちにとっても大きな光だと思います。

田中 健二朗 横浜ベイスターズ

田中 健二朗(たなか けんじろう)は横浜ベイスターズの投手です。

プロフィールは生年月日が1989年9月18日うまれです。
出身地は愛知県新城市というところで、結構知名度が低いところですね。
それを表すかのように高校時代のあだ名は ”田舎”なんて呼ばれていましたし。
ドラフト指名会見後の横浜の球団会見では『ハマの田舎』と呼んで下さいとまで言っています。

身長180cm 体重79kg の体格です。

田中 健二朗の球種はストレートと変化球がカーブ、とスライダーが主なものです。  制球力と球の切れで勝負していくタイプですね。
ストレートはMAX139km/hで決して速い方ではありませんね。

出身校は常葉菊川高(常葉学園菊川高校)で、このときに世間の注目をあびました。
3年生の時エースとして第79回選抜高等学校野球大会を優勝して、その夏の大会も第89回全国高等学校野球選手権大会で春夏連覇という偉業を達成する一歩手前までいきました。



↑田中 健二朗の画像です。クリックすると拡大してみることができます。


これで一気に静岡県の常葉学園菊川高校(とこはがくえんきくがわ)が有名になりましたね。
静岡といえばサッカーでしたから少し意外な感じも受けました。

田中 健二朗も注目され、多くのメディアで取り上げられました。
田中 健二朗の映像とか画像や写真は、いまのところ高校時代のものが多いですね。
なかなかイケメンで甘いマスクですのでもてるでしょう。
彼女なんかもいたのでしょうか。

2007年10月3日の高校生ドラフトで横浜ベイスターズから1巡目指名を受けました。
契約金7000万円、年俸720万円で契約を結んでいます。

背番号は46で、大きな番号なのですが、これには横浜の投手三浦大輔がかつて付けていたのと、工藤公康よりも一つ小さい番号ということがあるようです。

プロでの田中 健二朗の2008年の成績はまだ一軍での登板機会がありません。
高校生でしたからじっくり育てるという横浜ベイスターズの方針もあるのでしょう。
ファームで成績をきちんとあげて実績を積んでからということでしょう。
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