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浅村栄斗 西武ライオンズ

浅村栄斗 埼玉西武ライオンズ

浅村栄斗(あさむら ひでと)は、西武ライオンズの内野手です。
背番後は32番。

次世代の西武ライオンズを担う選手と言って良いでしょう。
とにかくその積極的な打撃が特徴。
初級から振っていく確率がずねけて高いです。

その打撃を活かすために、本来のポジションではないファースト(一塁手)で出場する機会が増えています。


やはり、打撃フォームは豪快な感じですね。

では、浅村 栄斗 選手のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1990年11月12日生まれ。
身長181㎝
体重 78㎏
プロ野球選手としては平均的なところですね。
血液型はO型

出身地は大阪府大阪市東淀川区で関西人。
出身中学は、井高野中学校
高校が
大阪桐蔭高校です。甲子園常連の名門校。
今この高校は、プロへの最短のラインですね。

高校では、1年生の秋からベンチ入りを果たし、レギュラーとなったの2年生に入ってから。
3年生の時の、2008年夏の甲子園での活躍が印象的です。
1番バッターとしての打撃もありますが遊撃としての守り
高校通算22本塁打。




この活躍もあり2008年のドラフトで埼玉西武ライオンズから3位指名を受けました。
高校生ということから、ほとんど一位指名の価値があるでしょう。

プロ入り後も順調に伸びてきています。
1年目こそ2軍を中心に活躍でした、高校卒業のルーキーが2軍といえどもレギュラー的な働きをするのは大変なことです。

2年目はオープン戦での活躍もあり、開幕一軍を果たします。
ただ出番自体はあまり多くありませんでした。
西武の内野陣はレギュラーが、きっちり固定されています。

3年目は出場機会を得るために一塁手にも挑戦しています。
でも内野なら ショートとセカンドも守ることが出来ます。

強肩・強打の大物遊撃手
50m6秒2、遠投100mで本来は打撃だけでなく、守備でも見せることが出来る選手

走攻守揃った大きな選手としてぐんぐん伸びて欲しいですね。

間違いなく西武ライオンズを支える存在となる事は間違いないでしょう。

プライベートでは、あまり話はないですが彼女とか出来たのでしょうか。
これだけの伸びを見せているところを見ると、趣味は野球という状態かもしれませんね。
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テーマ : 埼玉西武ライオンズ
ジャンル : スポーツ

涌井 秀章 埼玉西武ライオンズ

涌井 秀章(わくい ひであき)は、埼玉西武ライオンズの投手です。
背番号は18番と、松坂大輔がつけていたものを受け継ぎました。
西武ライオンズのエースとしてまた、日本を代表する投手としても認められています。
投球時は常にポーカーフェイスで、感情は表に出しません。

涌井 秀章のプロフィールを見ていきましょう。
出身地は千葉県松戸市で、生年月日は1986年6月21日生まれです。
身長が185cm 体重が85㎏というところで結構上背がありますね。


↑湧井投手の投球フォームでもっとも特徴的な瞬間です。

出身高校は横浜高校で、松坂大輔の後輩にあたります。
実際に、湧井は松坂2世と呼ばれていました。
甲子園でも優勝まではありあんせんが横浜高校のエースとして活躍。
ストレートのスピードも140km台後半をマークし当然プロの注目を集めました。

2004年のドラフト会議にて西武ライオンズが単独で1位指名をしました。
この時点で松坂大輔の後継者として運命づけられていたと言うしかないですね。
入団時の背番後は16ということで、いかに期待されていたががよくわかります。

涌井 秀章は高卒ルーキでありながら、プロ入りの初シーズンから一軍での登板があり、初勝利を挙げています。

そこからは順調に力を伸ばしてきて、いて西武投手陣の柱となり、エースと呼ばれるまでになりました。
2年目のシーズンから毎年10勝以上の勝ち星を挙げています。
完投能力も高く、スタミナがあります。


↑湧井モデルのグローブです。詳細は画像をクリック。

走り込みの量は相当のもので、松坂大輔が全くかなわないと言っているほどです。

涌井 秀章の持ち球(球種)は直球(ストレート)が最速で150km/hをマークします。
これに加え多彩な変化球を持ちスライダー、カットボール、カーブ、スローカーブ、フォーク、チェンジアップ、シュート、シンカーとかなり多彩です。

涌井 秀章のプライベートはあまり出てきませんが、
顔がフジテレビの女子アナウンサー 平井理央さんに似ていることもよく知られています。

イケメンですから女性ファンも多いです。
いまのところ、彼女や恋人などに関して話題になったことはないですね。
まだまだ年齢も若くこれからでしょうか・・・

すでに球界を背負って立つ投手となった涌井 秀章投手。
将来はメジャー行きも視野に入れていたりするのでしょうか。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

栗山 巧 埼玉西武ライオンズ

栗山 巧(くりやま たくみ)は、埼玉西武ライオンズの外野手です。
背番号は1番です。右投げ左打ち。
背番号は入団当初は52番でしたが、2008年シーズンから”1”となりました。
チームがいかに、栗山 巧に期待しているかがわかりますね。

西武の渡辺監督が2軍監督時代から手塩にけけて育ててきた選手です。
特にそのバッティングに関するセンスは光るものがあります。


↑栗山巧 選手のバッティングフォームです。

栗山巧 選手のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1983年9月3日生まれです。
身長は177cm 体重が78㎏で、出身地は兵庫県神戸市西区になります。
出身校は育英高校で野球が強いところですね。
栗山選手は2年生の時に、春夏と甲子園に出場しています。
3番打者として活躍、このときの写真や画像などはたくさんあるでしょうね。
3年時は出場がありません。
高校通算で47本塁打を放つ強打者です。
これらの活躍でプロからの注目を集め、2001年に西武ライオンズから4位指名を受けました。

プロへ入ったシーズンから一軍で活躍というわけにはいきませんでした。
高卒ルーキーですから、一軍出場だけでも数年かかるのが普通ですね。
ただ、栗山 巧 選手は2軍では1年目から起用されてプロとしてのキャリアを積み重ねていきます。


↑栗山選手へのインタビューがあります。

そして、2004年に一軍初出場を果たすも1試合のみ。
実質的に栗山巧が活躍を始めたのは2005年シーズンからと言っていいでしょう。
そこからはほぼレギュラーとしての下地を積み上げてきていますが、2006年シーズンは怪我による故障(手首の骨折)でシーズンの半分ほどを棒に振りました。

元々バッティングは得意で、だんだん向上もしてきて2008年にはシーズン通算3割を超える打率を残しました。
課題である守備走塁でも成長を見せています。

栗山 巧 選手のプライベートな話題は、なかなか出てきません。
彼女とかいるのでしょうか。
プロ野球選手として、生活を安定させるには結婚も一つの手段かもしれません。
それともまだ、野球のみに打ち込んでいる段階でしょうか。。

埼玉西武ライオンズの主力選手となった栗山 巧 選手、次の西武黄金時代の担い手なのかもしれません。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

片岡 易之 埼玉西武ライオンズ

片岡 易之(かたおか やすゆき)は埼玉西武ライオンズの内野手です。
背番号は7番。
基本的にセカンドを守る二塁手ですが、ショートを守ることもできます。

この背番号7というのは、西武のかつての名選手がつけていた番号で、石毛宏典やメジャーへ行った松井稼頭央がつけていた番号なのです。
それだけの背番号を入団当初からつけていたのですから、チームからいかに期待を受けてのことかということがわかります。

では片岡 易之のプロフィールを見ていきましょう。
片岡の本名は保幸という漢字を書きます。
アマチュア時代からいろいろ怪我に悩んできたので、登録名を易之に変えたのだそうです。
1983年2月17日生まれ。右投げ右打ちなのですが、実は左利きという変わったパターンですね。
身長176cm 体重82㎏


↑片岡選手の画像です。走塁の姿 クリックすると拡大して見ることができます。

出身地は千葉県千葉市花見川区で、出身校は文星芸大付高(かつて宇都宮学園高校でした)において、甲子園出場を果たしますが、大きな活躍はできませんでした。
このころの片岡 易之の写真や画像はあまりないですね。

2001年に社会人野球へ進みます。
東京ガスでの活躍がスカウトの目にとまり、2004年のドラフトで3巡目で指名(ドラフト2位ともいえます)されました。
契約金1億円+出来高5000万円 年棒1500万円です。
ちなみのこのときの一位は湧井投手でした。
西武にとっては本当に当たり年でしたね。

2005年のシーズン一年目から早くも一軍での活躍を始めます。
2年目の2006年シーズンからは、2塁のレギュラーを取りました。
やはり足と守備が安定しているので使いやすいのでしょうね。


↑片岡モデルのグローブです。クリックすると拡大します。

2007年2008年は盗塁王をとっています。
完全に足のスペシャリストとしても認知度が高くなってきています。
もちろんバッティングもなかなかなものです。
シーズンによっては3割に届き等なところまで来ています。
2008年はパリーグでの最多安打を記録。

年棒も5700万円となって、2008年の活躍からすると9年は・・・

しかしなんといっても足でしょうね、足でかき回してノーヒットで1点とるなど試合の流れを変えることができます。
足にはスランプはないですから、大きな武器です。

お立ち台やファン感謝デーは、普段のプレー振りからはなかなか想像できないようなパフォーマンスでファンを楽しませてくれます。
かぶりものが得意ですね・・

片岡 易之 選手 仲良しな選手は おかわり中村くんだそうです。
中村選手がホームランを打った後のベンチを見ればその熱々ぶりが。
彼女とかはやきもちを焼いたりして、まさか結婚とかはありえないので・・

ともかく西武の片岡選手は、3拍子揃った非常にいい選手へとさらに成長を続けています。

岸 孝之 埼玉西武ライオンズ

岸 孝之(きし たかゆき)は埼玉西武ライオンズの投手です。
背番号は11番です。
高校までは全くの無名で、大学での活躍で一躍ドラフト候補の筆頭に名前が挙がってきました。

【とても初々しい感じの 岸孝之の画像です】

では、岸 孝之 投手のプロフィールを見て行きましょう。
生年月日は1984年12月4日生まれで、出身は宮城県仙台市太白区になります。
身長が180cmで体重が68kgとかなりスリムな体格です。
細身と言っても過言では無いでしょう。
右投げ右打ちです。
スマートでイケメンで人気もかなり上がってきています。
プロに入ってからの画像や写真はかなりあるでしょうね。

出身校は高校は、宮城県名取北高校でこの頃は全くの無名と言っていい存在で、甲子園への出場経験はありません。
仙台育英などが強いですから甲子園はかなり狭き門ですね。
東北学院大学へ進学しても野球を続け、ここで才能が開花しました。
東北には東北福祉大などの全国的な強豪校がいますが、そこを相手に仙台六大学野球リーグではの35連覇を阻止しました。
日米大学野球の選手にも選ばれ、活躍しました。

その体格や投球内容から、西武の 西口二世といわれました。
その三振の多さから、”みちのくのドクターK”と呼ばれることもありました。


↑岸投手の投球フォームです、クリックすると拡大します

2006年のドラフトで楽天と西武が競いましたが、尊敬する西口投手がいるということで西部を選び自由枠で入団しました。
契約金は1億円 年棒は1500万円で契約しました。

2007年プロに入ってからの活躍は、また目覚しいものがあります。
入団一年目からチャンスをつかみローテーション投手になりました。
勝ち星も11勝に達しましたが、新人王は楽天の田中マー君に取られてしまいました。
成績は新人王にふさわしいものでしたので優秀選手賞を受賞しています。

2008年シーズンは2年目のジンクスにはまりかけましたが、シーズン中盤からぐんぐん調子を上げてほぼ一年目と同じ成績を収めましたが、なんと言っても日本シリーズでのMVP獲得です。
完全に球界を代表する投手になったといえるでしょう。

岸 孝之の持ち球(球種)は、MAX152km/hの直球と切れ味抜群のスライダーを中心に組み立てます。チェンジアップやカーブも自在に操ります。

でもプロ野球選手としては、かなり食が細く、あがり症ということなのですが、ピッチング見ていると全くそんなことは感じさせません。

埼玉西武ライオンズにおいて、岸はエース涌井と並ぶ完全に2枚看板ですね。
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