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岡田幸文 千葉ロッテマリーンズ

岡田 幸文(おかだ よしふみ) は 千葉ロッテマリーンズの外野手です。
背番号66 

とにかく、その守備範囲の広さが魅力 センターへ飛んだ打球はことごとく捕球されてしまうので それを称して エリア66 とまで呼ばれたりします。
もちろん足も早いです。




また育成出身 選手で、初めて全試合出場を果たし、育成の星でもあります。

今の華やかな活躍からは程遠い苦労人でもあります。
そんな 岡田 幸文 選手のプロフィールを見ていきましょう。

生年月日 は1984年7月6日です。
身長  177 cm
体重が 70 kg スリムで身軽な感じそのままですね。

出身地は、栃木県塩谷郡
出身高校が作新学院 と、江川卓 投手の出身校で最近 結構強いです。

甲子園出場はなりませんでしたが、日本大学へ進学しました。

ここからが、苦難の連続
まず肘を痛めて、大学はすぐに中退。

地元に戻り 全足利クラブに所属 ここで約5年間を過ごします。
この間にも怪我があったり

なのですが運命的な出会いも果たしています。
かなり有名になりましたが、奥さんになる 由美子さんとであいます。
足利市の公務員で、市営球場の管理をしていた女性です。

スポーツ選手には最適な?年上のシッカリした方という評判です。

夫 岡田 幸文 選手の育成枠でのプロ入りには反対だっといいます。
年俸 200万円では家族は暮らしていけませんから・・・
ずっと公務員を続けられているそうです。

話を戻して、2007年に足利ガスの嘱託社員となりましたが、2008年のドラフトで育成枠6位で千葉ロッテマリーンズから指名を受けました。

由美子さんを説得する 
自身もかなり悩んだようですが、2年でダメだったらすっぱり諦める
さらに、足利ガスは戻ってきた場合には正社員として雇用すると言う後押しでプロ入りを決意。

異例?の単身赴任でのプロ生活スタート。

こんな状態ですから、ハングリーさも並大抵ではなかったでしょうね。
こっからはまさに下克上
1年目にみごと支配下登録され、背番号が3桁の132から 二桁の66になりました。
本当のチャンスが巡ってきたのは2010年 主力選手の故障でついに一軍での活躍のチャンスが。。

ここで、守備と足で、見事にチャンスをつかみ取ります。

2011年は最初からレギュラーとして活躍、ゴールデングラブ賞にはもちろん誰も文句はありません。

2012年の契約更改で年俸は、3200万円 育成時代から見れば10倍を超える金額に。
でも未だに、単身赴任です。。

残された課題は、バッティングでしょう。
もう少し 打率 出塁率を上げていきたいところでしょう。
それを達成したら、まさに日本を代表する外野手となれるでしょう。

このような選手が出てくるというのは、育成ドラフトもなかなかいい制度なのかもしれないですね。

今日もまたセンターへ打ったばかりにヒットを1本損する選手が。。。
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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

今江 敏晃 千葉ロッテマリーンズ

今江 敏晃(いまえ としあき)選手 千葉ロッテマリーンズの内野手です。
主に3塁を守ります。
背番号8番。
右投げ右打ち 
愛称 ゴリ からも分るように、猿顔けいです。
そのバッティングは天才的。ストレートを待っていても、平気で変化球を打ち返します。
それゆえ、感覚が大事なのか若干成績に波があります。(調子に乗せるとまさに手がつけられない。)


今江選手 フィギュアですね。

今江 敏晃 のプロフィールを見て行きましょう。
生年月日は、1983年8月26日生まれです。
京都府向日市の出身です。
体格は身長 180cm 体重 88kg とプロ野球選手としては、平均的なところでしょう。
出身校は、PL学園で超名門ですね。
一年生のときから4番を打つという図抜けた才能を持っていました。
甲子園へは2000年の夏の甲子園に出ていますが、3回戦どまり。
当然プロの注目も集まります。

2001年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位指名を受けてプロ入りを果たします。

今江選手のPLの同級生たちも、プロ野球選手になっています。
2002年は背番号25番を付けたルーキーイヤー。
(25番はかつてPLの先輩の得津選手がつけていたもので、評価が低いというわけではありません。)


今江選手 バッティングフォーム (かっこいい写真です)

初出場は、2002年4月30日 それもスタメンです。
高卒ルーキーとしては、考えられないような扱いです。
さすがに大活躍するところまでは行きませんでしたが、2軍ではしっかりレギュラーをとって、プロ初安打も記録しています。
扱いかたが球団の期待の大きさも感じられます。

本格的にプロとして頭角を現し始めたのが、2004年シーズン。
外野コンバートの話しもありましたが、内野にこだわり3塁手としてレギュラー争いに加わりましたが、怪我で脱落でした。

翌2005年に完全にブレイクします。
開幕から3塁手としてスタメン出場、規定打席到達 打率は3割を越えました。
日本を代表する3塁手としての地位を作りました。
2006年のWBCの代表にも選ばれ、世界一にも貢献しています。

ここから、は完全にレギュラーとして活躍を続けています。
打撃の好不調は、結構ありますますが、守備が上手くゴールデングラブを獲得しています。

あと、なんと言ってもお祭り男。運を持っています。
日本シリーズのMVPを2005年 2010年と2回とっています。
まさにチームの浮沈の鍵を握るプレイヤーですね。

プライベートでは、2004年に早々に結婚した為あまり大きな話題は無いです。
恋人がどうとか、アナウンサーと・・・なんて。。
お相手は一般の方で、10歳年上。
プロスポーツ選手としては、大成するのに理想的な感じ。
子供は2005年10月に生まれています。

今の背番号8は、ロッテの名選手 有藤道世さんがつけていたもの。
今江 敏晃もミスターロッテの道を歩んで行くのでしょう。

大嶺 祐太 千葉ロッテマリーンズ

大嶺 祐太(おおみね ゆうた)は千葉ロッテマリーンズの投手です。
背番号は11番

沖縄の離島にある八重山商工高校のエースとして甲子園を沸かせました。
楽天の田中マー君と同級生になります。いわゆるハンカチ世代。。

大嶺 祐太のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は 1988年6月16日生まれです。
身長184㎝ 体重80㎏ となかなかの体格です。
ピッチャーでは珍しい、右投げ左打ちです。
プロ入りのときは、バッターとしても期待されていました。


↑大嶺 祐太の投球フォームです。

出身地は、沖縄県石垣市で出身校は八重山商工です。
高校は、小学の時~野球の指導をしてくれた伊志嶺吉盛の勧めがあり八重山商工全日制を受験するが、不合格に・・・
それでは、どうやって八重山商工へ入学したかというと、定時制で入学。
2年生で全日制へ転入するというプロセスを踏んでいます。
それだけ野球だけに打ち込んできたということがうかがわれます。
中学では硬式野球「八重山ポニーズ」で世界大会3位になったということも、それを裏付けています。

高校3年の2006年春・夏と甲子園連続出場を果たし、快進撃で全国を沸かせました。
もちろん離島の高校ということもありますが、150㎞近い速球を投げこみました。
当然、プロの目にも止まりました。

その年のドラフトでは、注目される存在となり、福岡ソフトバンクホークスとの相思相愛関係でしたが、そこへ割って入ってきたのが、千葉ロッテマリーンズ。
一年浪人する覚悟もあったようですが、結局 千葉ロッテマリーンズへの入団を決意しました。
契約金1億円、年俸1000万円と高校生としては最高級ですね。


↑八重山商工野球部の物語を綴った本です。詳細は画像をクリックして確認してください。

プロ入りしての一年目の2007年シーズンは、ファームでじっくり育てるという球団の方針もあり、一軍登板は1回のみ。それもシーズン序盤のチャンスでしたが、打ち込まれてほろ苦デビューとなりました。

そこから徐々にプロの水にも慣れ、2009年にはローテーション入りも果たしてもいます。
まずは2ケタ勝利が当面の目標でしょうか。



大嶺 祐太の球種(持ち球)は、もちろんメインは150㎞を超えるストレート、変化球はスライダー・カーブ・フォーク・チェンジアップがあります。

プライベートでは、実弟の翔太が3位でロッテから指名を受け入団しましたので兄としてうかうかしていられないですね。
彼女とかの噂は、今のところありません。

ロッテも監督、コーチが変わり 特に投手コーチの西本さんからは厳しく指導を受けているようです。
今後ロッテを支える投手として、成長していくでしょう。

里崎 智也 千葉ロッテマリーンズ

里崎 智也(さとざき ともや)は、千葉ロッテマリーンズの捕手です。
背番号は22番。
日本球界を代表する捕手です。
日本代表としての活躍もとても印象に残ります。
特に勝負強いバッティングが魅了的で、満塁男と呼ばれます。
4年間連続で満塁ホームランを打っているゆえのことです。
目立ちたがりな性格もあって、ロッテのファンに対してのアピール度も高いですね。

また守りの面でも捕手として強肩で盗塁阻止率も高いです。


↑里崎選手のバッティングフォーム。

里崎智也 選手のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1976年5月20日生まれです。
身長は176cmで体重 87kg というところで、プロの世界では少し小さい方に入るくらいですね。
出身地は四国の徳島県鳴門市。
出身高校は鳴門工業高校で、甲子園では常連というまでではない感じがします。
高校の活躍ではプロの目にとまることはなく、帝京大学へ進学。
そこでの活躍がプロの注目を集め、1998年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから2位指名を受けます。

プロ入り一年目の1999年、大学卒業のドラフト2位のルーキーですから当然即戦力としての北がありますが、8月に左の手首を骨折してしまい、手術、リハビリを経験することになります。
これの影響で、里崎智也のプロ野球選手としての生活は2000年の途中からといってもいいでしょう。
2001年にはフレッシュオールスターに出場するなど活躍を始めます。
2003年シーズンには一軍での出場機会も増えて、規定打席を超えなかったですが3割を超える打率を記録、打てる捕手としての印象を残しました。
翌2004年はボビー・バレンタイン監督の下 ほぼ正捕手間違いなしの状況でしたが、膝を故障してしまいチャンスを逃します。

里崎智也が全国的に有名になったのは、2005年の日本シリーズでしょう。
攻撃に守備にと活躍をして、千葉ロッテの日本一に大きく貢献。
2006年のWBCに選出され、正捕手として起用され世界一をつかみます。
また完全に、千葉ロッテマリーンズの正捕手として代表的な選手ととして完全に定着します。


↑里崎モデルのキャッチャーミットです。詳しくは画像をクリックしてください。

球団の顔として、顔(外見)にも特徴的な点があります。
鼻の下の大きな黒子(ほくろ)です。
里崎 智也 選手本人は、お気に入りとのことです。

プライベートでは、結婚はまだですが、恋人はいるのでしょうか。
料理が得意ということで、大学時代に磨いた腕なのでしょうか。
これがもしかしたら、結婚に関してあまり強く必要性を感じない?原因なのかもしれません。

趣味としては漫画が大好きで、蔵書は1000冊を超えているのだそうです。
鋼の錬金術師がもっと好きな作品です。

千葉ロッテマリーンズのキャプテンを務め、名実ともに千葉ロッテマリーンズの中心選手で、里崎選手の好不調でチームの成績にも大きな影響がある選手となりました。
日本球界を代表する捕手として、これからの活躍も期待です。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

井口 資仁 千葉ロッテマリーンズ

井口 資仁(いぐち ただひと)は千葉ロッテマリーンズに所属する内野手です。
背番号は6番。
4年間のメジャーリーグでのプレーを経て、再び日本へ戻ってきました。
メジャーである程度活躍できた野手として初めて日本球界へ復帰した選手となると思います。
ロッテにとって井口 資仁の背負う番号6は、3冠王を何度もとった落合博満や初芝清などがつけていたもので、マリーンズの期待の大きさもうかがえますね。

↑井口の画像がたくさん。クリックして法則を確認してみてください。

井口 資仁のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1974年12月4日生まれです。
出身地は東京都田無市で、現在は西東京市となっています。
身長が176cm 体重が91㎏と体格的にはそんなに大きいわけではないですね。
出身高校は國學院大學久我山高等学校 (国学院久我山)で野球の名門校で甲子園も一度出場しています。
青山学院大学へ進学。
高校時代は全国的に目立った活躍などは見せられませんでしたが、大学時代の活躍は目覚ましく全日本大学野球選手権大会優勝など数々のタイトルを獲得、自身も東都リーグの3冠王を獲得するなど一気に全国に名をとどろかせる存在となりました。

1996年にはアトランタオリンピック野球日本代表として銀メダルを獲得し、プロ野球チームの井口 忠仁 獲得合戦もヒートアップしました。
最終的には、福岡ダイエーホークス(現 ソフトバンクホークス)を逆指名してドラフト1位指名となりました。契約金1億円、年棒1300万円で契約。

プロ一年目から一軍での出場はしますが、期待されたほどの活躍は見せられない状態でした。デビューこそ満塁本塁打を放つなど華々しいものでしたが・・・
本当にプロで活躍できたのは2003年シーズンからといってもいいでしょう。
それまでは打撃がどうしても安定せず、打率は2割台中盤程度までしか行きませんでした。


井口 忠仁は2004年シーズン終了後、メジャー志向もあり自由契約となり、アメリカを目指します。
2005年にシカゴ・ホワイトソックスへ入団、開幕戦より2塁手で出場、打順も2番で定着して活躍、チームもワールドシリーズ制覇を果たします。
いきなりチャンピオンリングを手にします。

2007年はシーズン途中で、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍、2008年はサンディエゴ・パドレスと契約、シーズン終盤に戦力外の通告を受け再びフィリーズに戻るなど複数球団を渡り歩きました。

2009年はFA(フリーエージェント)で、メジャーと日本の複数の球団と交渉を行い、最終的に井口 資仁は千葉ロッテマリーンズを選択日本球界復帰となりました。

井口 資仁はメジャーでの経験を生かして、日本の野球ファンにどんなプレーを見せてくれるのでしょうか。
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