スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

井端 弘和 中日ドラゴンズ

井端 弘和(いばた ひろかず)は中日ドラゴンズの内野手です。
背番号は6番です。
球界を代表する遊撃手で特にその守備には高い評価があります。
ゴールデングラブ賞を5年連続で取っているのですが、2009年シーズンからはセカンドを守る荒木選手と守備位置を入れ替えるコンバートがされる予定です。

井端 弘和のプロフィールは、生年月日が1975年5月12日生まれです。
出身地は神奈川県川崎市になります。
身長が173cmで体重が75㎏とプロ野球選手としては恵まれた体格というわけではありません。


↑井端選手 画像です。クリックすると拡大して見ることができます。

出身校は、高校が堀越学園で甲子園出場の経験もありますが、話題を集めたわけでもなくこのころの画像や写真はあまりないですね。
大学は亜細亜大学で、ここでのプレーがプロの目にとまりました。

1997年にドラフト5位指名でした。
このときの契約金が6500万円 年棒900万円でした。背番号も48と大きなものでした。
プロ入り3年目から一軍での出場機会が増えましたが、遊撃手(ショート)としてレギュラーを獲得したのが4年目の2001年シーズンからです。

バッティングは、右打ちがうまく簡単に3振してくれない何かやりそうないやらしいタイプのバッターです。
2008年シーズンは、怪我で連続試合出場記録が637試合で途切れてしまうなどしましたが、シーズンオフの契約更改では5年契約を結びました。
年棒は2億5千万円で、毎年変動するものです。


↑井端モデルのグローブです。クリックすると詳細が分かります。

それよりも話題を呼んだのが結婚ですね。
テレビ朝日アナウンサー 河野明子さんとの結婚です。
河野は中日ファンを公言していましたがこのようなことになっているとは全くうわさもありませんでした。

落合監督の下、5年間レギュラーでやれるように再び鍛えなおされそうな2009年シーズンになりそうです。(落合監督曰く大人扱いし過ぎた・・・)

井端 弘和選手 新たなパートナを得てさらに飛躍していけるのか注目ですね。
スポンサーサイト

荒木 雅博 中日ドラゴンズ

荒木 雅博(あらき まさひろ)は中日ドラゴンズの内野手です。
背番号は2です。
走攻守そろった選手で、そのなかでも走、守がすばらしいです。
中日のショート(遊撃手) 井端とセカンド(2塁手)荒木のコンビは、中日ドラゴンズを支えるセンターラインです。
守備範囲は本当に広く、ゴールデングラブ賞を連続で獲得しています。

では荒木 雅博のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1977年9月13日生まれです。
身長は180cm で体重は74㎏です。
血液型はA型です。
結婚はすでにしており家族は瑞恵夫人と長女がいます。


↑荒木選手の画像です。クリックすると拡大します。

出身地は熊本県菊池郡菊陽町で高校も地元の名門校 熊本県立熊本工業高等学校 いわゆる熊本工業ですね。
多くのプロ野球選手を輩出している学校ですね。
高校へは、トレーニング兼ねてかなり遠いところから自転車で通学していたらしいです。
高校時代は、俊足強肩の好遊撃手として主将も務め甲子園も出場をしていますが、甲子園では目立った活躍はできませんでした。
このころの荒木の画像などはあまりありませんね。

荒木 雅博がプロの道へ入ったのは1995年のドラフトです。
中日ドラゴンズに1位指名されました。
このときの中日は、福留孝介(近鉄が指名権を獲得)再び 原俊介( 巨人が指名権を獲得)の末の獲得となりました。
この時から中日ドラゴンズの主力だった立浪の後継者となる選手を探していたんですね。

プロに入ってからは、一軍で活躍できるようになるまではかなり長い時間を要しました。
プロ入り2年目から一軍へに出場機械はありましたが、主に代走によるものです。
出場機会は増えてきましたが、守備位置はセンターを守ったり、内野に戻ったりとなかなか定位置獲得というわけにはいきませんでした。
特に打撃にはなやみ、その俊足を生かすためにスイッチヒッターに挑戦するなどしました。


↑荒木モデルのグローブです。詳細は画像をクリックしてください。

2004年シーズンから完全にセカンドの定位置を獲得しました。
井端とのアライバコンビと言われ始めたのもこのころです。

日本球界にとっては汚点となってしまった北京オリンピックにも、日本代表として出場しています。
球界を代表する選手として成長しました。

2008年の契約更改では、中日ドラゴンズと5年契約を結び実質的に生涯中日の選手であることを選びました。
年棒は1億5000万円ですが、年棒は変動するものです。

藤川球児 阪神タイガース

藤川球児(ふじかわ きゅうじ)は阪神タイガースの投手です。
背番号22。
1980年7月21日生まれで 身長184cm 体重83kgです。
試合の最後を締めるクローザーを務めていて、恐らくいまの日本でナンバーワンのクローザーだと思われます。

阪神の自慢の継投で3人の頭文字をとってJFKと呼ばれていました。
J:ジェフ・ウィリアムズ F:藤川 K:久保田


↑藤川モデルのグローブ。クリックすると拡大してみることができます。


藤川球児の出身校は高知市立高知商業高等学校 (高知商業)で名門校ですね。
1997年の高校2年生の時に甲子園に出ています。
兄とともに出場で兄弟バッテリーとして話題になりました。
藤川は高知三羽烏と呼ばれるうちの一人でした。

1998年のドラフト会議で阪神タイガーズに1位指名されて入団しました。
契約金1億、年俸700万、で契約しました。
高卒としてはほぼMAXの金額ですね。
入団当時は背番号 30でした。

2000年より一軍で投げる機会が生まれてきましたが、速球の球速が140キロ台中盤程度で、特に目立つような活躍はありませんでした。


↑藤川球児のテーマソングがきちんとシングルCDです。
画像をクリックすると詳細を確認できます。

2004年に肩を痛めて二軍でトレーニングを積み、きっかけとして中継ぎとして復帰してから藤川の快進撃が始まったといえるでしょう。
最初は抑えの久保田の前を投げる。いわゆるセットアッパーをこなしていました。
球速もいつしか150kmを超えるようになり、ストレートで打者の空振りをとれるようになりました。

2006年に久保田の怪我でクローザーに昇格して、今では完全に阪神の守護神のポジションを固めています。

藤川球児の持ち球(球種)は、何といっても浮き上がるようなストレートです。
これは藤川に投げるボールの回転数が普通の投手よりもかなり多いことが原因だと思われます。

火の玉ストレートとも呼ばれます。
変化球は基本的にフォークボールです。
スライダーも投げることはありますが、あまり見たことはありません。

藤川は2000年に早々と結婚しています。
写真や画像などはブレイクする前ですから、あまりありませんね。

ストレートで欲しい時に空振りがとれ、ストレート勝負できる投手は少なく、日本にとってとても貴重な選手であるともいえすでしょう。
カテゴリ
最新記事
information




ブログランキング
blogram投票ボタン
parts
SEO
My Yahoo!に追加
Add to Google
  • seo

RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
月別アーカイブ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。