スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

上原 浩治 オリオールズ(メジャーリーガー)

上原 浩治(うえはら こうじ)はボルチモア・オリオールズの投手です。
日本ではドラフトで1998年からジャイアンツに入団して以来ずっと活躍をしてきました。
巨人での背番号は”19”で、10年間で112勝 33セーブをあげています。

上原投手は、入団した当初からメジャーリーグへの挑戦を希望していて、ポスティングでの移籍の道も探ってきていましたが、2008年にFA権を取得してオリオールズに入りました。
契約金は2年総額1600万ドル(約14億4000万円)とのことです。
年棒が約7億円ということですが、日本の大物投手としてはそんなに多い額ではありませんが、サブプライム問題でアメリカ経済が混乱しているので仕方ないところでしょう。

オリオールズは先発投手が不足しており、2番手の投手として期待されています。


↑上原の画像です。投球フォームもみられます。クリックすると拡大できます。

上原投手のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日が1975年4月3日生まれです。
身長が185cmで体重が85㎏です。
出身地は大阪府寝屋川市ということで関西育ちですね。
出身校は高校が東海大学付属仰星高等学校 で控え投手であり、特に注目などは集めることはありませんでした。
才能が開花したのは大学で、大阪体育大学へ(大体大)へは、1年浪人して入学するというプロになる野球エリートととは大きく違い道を歩んでいます。

そんなことから”雑草魂”という言葉を上原投手は使います。

大学では阪神大学リーグで大活躍。
大学の4年間で36勝4敗、最優秀投手賞4回、特別賞2回ということでプロの注目を集めました。何といっても国際大会に強く、大学3年生の時に無敵のキューバに対して先発して勝利をもぎ取る投球もしました。

1998年のドラフトで逆指名で1位指名されました。

この国際大会に対する強さはプロへ入ってからも発揮しています。
オリンピック代表、WBC代表となり全く負けなしという成績を継続中です。

上原浩二のピッチングは、ストレートとフォークが基本です。
ただしこのフォークと言っても、数種類を投げ分けることが出来て、何といってもそのコントロールが抜群です。


↑上原モデルのグローブです。クリックすると詳しく見ることができます。

球種(持ち球)は、先ほどのストレート、フォーク、スライダー、カットボール、カーブを投げることができます。
ストレートはジャイアンツ入団当初は150kmを超えていましたが、故障などで140km台の中盤まで球速は出るかでないかという程度にはなりましたが、コントロールと球のキレは抜群です。

日本では数々の賞をとっており、入団した年は15連勝という記録をうちたて、シーズン通して20勝をいきなり上げました。
新人王(1999年)
最多勝利 :2回(1999年、2002年)
最優秀防御率 :2回(1999年、2004年)
最多奪三振 :2回(1999年、2003年)
最優秀投手 :2回(1999年、2002年)
沢村賞 :2回(1999年、2002年)
ベストナイン :2回(1999年、2002年)
ゴールデングラブ賞 :2回(1999年、2003年)
というすごい実績をもってメジャーに挑戦ということになります。

すでに結婚はしていて、2004年に元モデルの山美穂さんと結婚しています。
スポンサーサイト

和田 毅 福岡ソフトバンクホークス

和田 毅(わだ つよし)は、)は、福岡ソフトバンクホークスの投手です。
背番号は21番です。
オリンピックやWBCでの代表に選ばれる日本を代表する左腕の投手です。
独特のフォームから繰り出すストレートは、球の出どころが分かりにくく、キレもあるためとても打ちにくい投手ですね。
速球は最高速145キロメートル程度ですが、初速と終速の速度差が少ないので数字以上に早く感じられるとのことです。

和田 毅のプロフィールを見ていきましょう。
出身地は愛知県江南市となりますが、小学生の時に島根県出雲市へ引っ越しているので実質的に島根県出身といっていいかもしれません。
出身校は高校が島根県立浜田高等学校 [浜田高校]で甲子園へも出場し活躍しました。
1997年は2年生からエースとして、1998年にはベスト8まで進出しています。
このころの和田の画像や写真はたくさんあるでしょうね。
しかしこの時点ではドラフトにはかかりませんでした。
上腕三頭筋断裂があり球速が130㎞にとどかなくらいだったからです。


↑和田投手の投球フォームです。クリックすると拡大して見ることができます。

大学は早稲田大学に進学。
ここで才能が完全に開花します。
早稲田の「ドクターK」と呼ばれ、それまでの記録であった江川卓の三振記録443を大きく超え、476奪三振を記録しています。
早大野球部史上初の4連覇を達成しました。

2002年のドラフトで自由獲得枠で当時の福岡ダイエーホークスへ入団。
プロ入りの初年度から大活躍です。14勝を挙げ、日本シリーズで新人で初めての完投するという快挙もなしとげ新人賞を獲得しました。
その後も安定した成績を挙げています。

2005年にはタレントの仲根かすみ さんと結婚、2006年には長女も生まれています。


↑和田モデルのグローブです。クリックすると詳細が見られます。 

和田投手は社会貢献の活動へも積極的で、2006年から投球数×10本のワクチンを寄付するという活動をしています。
これが評価され第8回(2006年)ゴールデンスピリット賞を受賞しています。
これには本当に高く評価されています。

「和田毅杯少年野球大会」も主催しています。

年棒は元西武の松坂のペースを超えて
入団4年目で1億4500万円でした。
2008年のオフは8勝8敗で不本意なシーズンでしたが、2億3千万円で更改しています。

和田 毅はこれからも活躍が期待される投手です。
カテゴリ
最新記事
information




ブログランキング
blogram投票ボタン
parts
SEO
My Yahoo!に追加
Add to Google
  • seo

RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
月別アーカイブ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。