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金子誠  北海道日本ハムファイターズ

金子 誠(かねこ まこと)は北海道日本ハムファイターズの内野手です。
背番号は
ニックネームは「マック」または「マコ」と呼ばれています。
日本ハムファイターズの守りの要で、どちらかというと守備の人というイメージが強かったのですが、二塁打の連続試合 日本記録保持者となりました。

プロ野球人生の生涯を日本ハムファイターズで通すことを宣言しているファンにとってはたまらない選手ですね。


↑やっぱり金子 誠は守備ですよね。

金子 誠のプロフィールを見て行きましょう。
生年月日は 1975年11月8日生まれです。
出身地は千葉県我孫子市です。
身長が185cm 体重が84kgと恵まれた体格で大型内野手ともいえるでしょう。
守備位置はショートですが、一群で出始めた頃はセカンドを守っていました。

出身校は常総学院高等学校(常総学院)という名門校で、3度の甲子園出場の経験があります。
甲子園での活躍などが認められて、1993年のドラフトで日本ハムから3位指名を受けてプロ入りしました。
注目を集める選手だけに画像や写真などもたくさんあるでしょうね。

プロ入りしてからも比較的に順調に伸びた選手といえるでしょう。
高卒ルーキーですから、さすがに一年目からの活躍が難しいですが、金子 誠はプロ3年目の1996年に2塁【セカンド】のレギュラーを獲得しています。
高卒ルーキーとしてはかなり順調に伸びてきたと言えますね。
そして、その年にパ・リーグ最優秀新人(新人王)をとっています。


↑金子選手 使用モデルのバッティンググローブです。クリックすると詳細を見ることが出来ます。

その後もセカンドのレギュラーとしてシーズンを過ごしますが、守備は安定感がありエラーも少なくゴールデングラブを獲得しますが、打撃成績の方は数字的にもなかなか伸びないような状況が続いてきています。

2002年になると、ショートのポジションが、正遊撃手だった田中幸雄のサードへのコンバートで空いたため、そこに金子誠が抜擢されました。

金子選手にとってピンチと言えば、2005年シーズンでした。
ヒルマン監督が、打撃(出塁率)の悪さで、開幕を2軍で迎えました。
結局、ショートに入った外国人も満足な成績を上げられず、レギュラー復帰を果たしています。

金子 誠 選手は結婚をしており、お相手は元テレビ朝日のスポーツ記者で、ニュースステーションのキャスターも務めていた白木清か さんです。
野球選手とアナウンサーのカップルは良くあるパターンですね。

チームリーダーとしてチームを引っ張りつづける金子 誠 選手 北海道日本ハムファイターズでこれからも活躍を見せて欲しいですね。
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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

福原 忍 阪神タイガース

福原 忍(ふくはら しのぶ)は阪神タイガースの投手です。
背番号は28番。
右投げ右打ちです。
入団当初は、完全な速球投手でしたが、肩の故障があり現在は直球と変化球を上手く使って総合力で打者と勝負するするスタイルに変わっています。

↑福原選手の投球フォームの一部です。
福原 忍のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1976年12月28日生まれで、 広島県三次市の出身です。
身長が180cm 体重が86kgです。
出身校は広陵高等学校 (広陵高校)で、甲子園では名の知れた高校です。
日本ハムの二岡智宏とは、小学校から高校まで同じ学校ということです。
ただ甲子園には残念ながら縁がなかったようです。
東洋大学へ進学、東都大学の2部リーグではありましたが、1部への昇格への活躍がプロの目にとまりました。
1998年のドラフト会議にて、阪神タイガースに3位で指名を受けました。
契約金が9000万、年俸が1000万で契約をしました。

1999年のプロ入り一年目から、持ち前の150kmを超える速球を武器に先発・中継ぎ・抑えと活躍をします。
2000年からは先発一本でいきますが、なかなか勝ち星には恵まれませんでした。
右肩に疲労がたまったのか、肩を痛めて2002年のシーズンオフにメスを入れました。
2003年のシーズン後半に復活を果たしますが、やはりかつての速球を投げることはできません。(と言っても140km中盤のスピードは出ますから、そんなに遅いというわけではないですね)



そこから徐々にイメージチェンジを果たし、速球と変化球をうまく組み合わせて投げるスタイルへ変貌していきます。
コントロールもとてもよくなりました。

福原 忍の持ち球は、速球と変化球で、110km/h前後で落差の大きいスローカーブ、カット・ファスト・ボール、スライダー、フォークボールを投げます。

福原投手がいい投球をすると援護に恵まれないというパターンが多く、防御率の割に勝ち投手となることが少ないです。
バッティングも得意な投手です。

趣味はブラックバス釣りで、チームメイトと一緒に行くこともあるようです。

投手として円熟を迎えるような時期に入ってきた福原 忍 阪神の中心的な投手として活躍してくれるでしょうか。

金本 知憲 阪神タイガース

金本 知憲(かねもと ともあき)は阪神タイガースの外野手です。
背番号は6番です。
”アニキ”の愛称でファンに親しまれている鉄人です。
プロ野球界で40歳を越えてもフルイニング出場の記録を継続しています。
既に日本記録世界記録を塗り替えています。
代打でもOKな連続試合出場と違って本当にきちんとプレーできないと無理な記録です。
鉄人を越えてスーパー鉄人です。

金本 知憲のプロフィールを見て行きましょう。
生年月日は1968年4月3日生まれで、出身地は広島県広島市南区青崎になります。
身長が180cm 体重が88kgと、筋力トレーニングで鍛えた強靭な肉体です。
出身校は、高校が広陵高等学校 (広陵高校)で、全国に名が通った野球の名門校ですが、金本 知憲が在籍していたときは、ちょうど弱い時期に当たってしまったため甲子園の出場はありません。当然画像なんて無いに等しいでしょうね。
金本選手は、大学へ入るのも浪人を経験しています。
中央大学に野球の入学枠で受験しましたが不合格となってしまいます。
しかし、翌年には東北福祉大学に入りました。
これが、実はとても幸運でした。
金本 知憲が入った時は、無名だった東北福祉大学ちょうど全国に知られる活躍を始めたころで、佐々木主浩、大塚孝二など多くの後にプロ野球選手となる人たちとプレーしました。
金本 知憲にとって、東北福祉大の伊藤義博監督との出会いは非常に重要なものとなりました。
日米大学野球選手権大会日本代表に選ばれるほどの活躍で、1991年のドラフト会議で広島カープから4位指名を受けました。

プロへはいいてからも、2年間は目立った活躍ができませんでした。
今からは想像できませんがとても非力な選手として認識されてました。
そこからトレーニングを積み体を作り上げ1994年ころから本格的に一軍での活躍が始まるます。
江藤のFA移籍によって4番の席が空いたので、2000年からは不動の四番打者となりました。


↑金本モデルのグローブ(グラブ)です。

2002年にFA権を獲得、基本的には残留したかったようですが、広島カープの球団方針でFA権を行使して残留することは許さないということで、移籍を決意しました。
複数球団の獲得の意向を示しましたが、当時の阪神タイガースの監督 星野仙一に口説かれて阪神を選択しました。

金本 知憲は阪神タイガースにおいても4番を務め、打撃不振や怪我で出行が危ぶまれる時もありましたが、2006年に904試合連続フルイニング出場の世界新記録を樹立しています。
(それまでは米大リーグのリプケンが記録を持っていました。)

金本 知憲はプライベートをほとんど公開していません。
2001年に結婚しています。奥さんとかは全く表に出てこないですね。
あと両親は韓国人なのだそうです。
芸能人の友人としては、島田紳助さんと親交が深いです。
お酒も好きで集合で、好物は幻の芋焼酎「森伊蔵」で、ヘビースモーカーでもありアスリートのイメージからすると意外な一面も持っていますね。
そんなところも、金本 知憲 選手をより魅力的に見せているのかもしれません。

金本 知憲 40歳を超えてどこまでフルイニング出場記録を伸ばすことができるでしょうか。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

井口 資仁 千葉ロッテマリーンズ

井口 資仁(いぐち ただひと)は千葉ロッテマリーンズに所属する内野手です。
背番号は6番。
4年間のメジャーリーグでのプレーを経て、再び日本へ戻ってきました。
メジャーである程度活躍できた野手として初めて日本球界へ復帰した選手となると思います。
ロッテにとって井口 資仁の背負う番号6は、3冠王を何度もとった落合博満や初芝清などがつけていたもので、マリーンズの期待の大きさもうかがえますね。

↑井口の画像がたくさん。クリックして法則を確認してみてください。

井口 資仁のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1974年12月4日生まれです。
出身地は東京都田無市で、現在は西東京市となっています。
身長が176cm 体重が91㎏と体格的にはそんなに大きいわけではないですね。
出身高校は國學院大學久我山高等学校 (国学院久我山)で野球の名門校で甲子園も一度出場しています。
青山学院大学へ進学。
高校時代は全国的に目立った活躍などは見せられませんでしたが、大学時代の活躍は目覚ましく全日本大学野球選手権大会優勝など数々のタイトルを獲得、自身も東都リーグの3冠王を獲得するなど一気に全国に名をとどろかせる存在となりました。

1996年にはアトランタオリンピック野球日本代表として銀メダルを獲得し、プロ野球チームの井口 忠仁 獲得合戦もヒートアップしました。
最終的には、福岡ダイエーホークス(現 ソフトバンクホークス)を逆指名してドラフト1位指名となりました。契約金1億円、年棒1300万円で契約。

プロ一年目から一軍での出場はしますが、期待されたほどの活躍は見せられない状態でした。デビューこそ満塁本塁打を放つなど華々しいものでしたが・・・
本当にプロで活躍できたのは2003年シーズンからといってもいいでしょう。
それまでは打撃がどうしても安定せず、打率は2割台中盤程度までしか行きませんでした。


井口 忠仁は2004年シーズン終了後、メジャー志向もあり自由契約となり、アメリカを目指します。
2005年にシカゴ・ホワイトソックスへ入団、開幕戦より2塁手で出場、打順も2番で定着して活躍、チームもワールドシリーズ制覇を果たします。
いきなりチャンピオンリングを手にします。

2007年はシーズン途中で、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍、2008年はサンディエゴ・パドレスと契約、シーズン終盤に戦力外の通告を受け再びフィリーズに戻るなど複数球団を渡り歩きました。

2009年はFA(フリーエージェント)で、メジャーと日本の複数の球団と交渉を行い、最終的に井口 資仁は千葉ロッテマリーンズを選択日本球界復帰となりました。

井口 資仁はメジャーでの経験を生かして、日本の野球ファンにどんなプレーを見せてくれるのでしょうか。

栗原健太 広島東洋カープ

栗原健太(くりはら けんた)は 広島東洋カープの内野手です。
背番後は5番です。
広島東洋カープの4番打者で、球界を代表するスラッガーです。
日本人が4番を務めること自体がかなり少なくなってきていますから、貴重な存在ですね。
(日本人から見れば、外国から来た打者が4番に座るチ-ムが多いですからね。パワーでどうしても劣って見えますからね。)

栗原健太のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1982年1月8日生まれです。
身長が183cmで体重が95㎏です。
出身地は山形県天童市で数少ない?山形県のプロ野球選手です。
一時は栗原健太一人の時もあったようです。
出身校は日本大学山形高等学校 (日大山形高校)で、その身体能力の高さを見込まれてスカウトされました。
甲子園の出場はありますが、目立つ活躍は見せることはできませんでした。
しかし、その才能に注目があつまり1999年のドラフト会議で広島東洋カープが3位で指名しました。


↑広島 栗原 バッティングフォーム画像。

栗原健太は高卒ルーキーとして入団してやはり一軍で活躍するまではそれなりに時間がかかってしまいました。
ただ体力は入団当時からプロのトップレベルに近いものがあり、足も速いと来ればやはり期待されるものも大きいものだったでしょうね。

2000年から2003年は怪我もありましたが、2軍では3割を超える打率を残してきていました。一軍へ定着し始めたのは2004年ごろからになります。
栗原健太はパワーとバットコントロールが素晴らしく、打率はコンスタントに3割を超えますが、長打率も5割程度であるということは驚異的なものがあります。

広島からの主力打者のFA移籍などもあり不動の広島の4番を打つようになったのは2008年からになります。

↑栗原のバッティンググローブです。クリックすると詳細情報があります。

栗原健太の愛称は”コング”ということで、、、、、
外見からしても画像を見ればわかりますが、ピッタリかもしれません。

プライベートとしては彼女・・ではなく、すでに結婚していて子供もいます。
2004年にホームランガールと結婚しているのですが、ホームランを打って知り合ったのでしょうか。。。

球界を代表する打者に育ってきた広島東洋カープの栗原健太 球場も新しくなり、そろそろ打撃のタイトルが何か欲しいところですね。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

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