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小久保 裕紀  福岡ソフトバンクホークス

小久保 裕紀(こくぼ ひろき) 福岡ソフトバンクホークスの内野手です。
背番号は9番をつけています。

小久保選手の特徴といえばやはりその打撃です。
そんなことよりも、思いだされるのは巨人への電撃移籍。
2003年に福岡ダイエーホークス時代のときに、身売りとかパリーグの球団が一チーム減るのではと騒がれていた時期でした。
なんと怪我をしていたとはいえ、ホークスの4番バッターが無償トレードで移籍という前代未聞の事件と言っていいでしょう。


↑小久保DVDです。クリック

これは、ダイエー 中内 巨人 ナベツネのオーナー間で密約があったのではと憶測されていますが真相は闇の中です。

巨人でFA権を取得して契約が切れて、2007年シーズン福岡ダイエーホークスへ戻ったことからもなんとなく見て取れるのですが・・

ホークスも小久保の背番号9をずっと空けて待っていたことからもさらにその思いは強くなりますね。

それはさておき、

小久保 裕紀の生年月日は1971年10月8日です。
出身地は和歌山県和歌山市 です。
出身校は、高校は和歌山県立星林高等学校ですが、全国で注目されるような活躍はありませんでした。
青山学院大学(青学)へ進み六大学野球で活躍して注目を集め、1992年はバルセロナオリンピック野球日本代表として銅メダル獲得しています。

小久保 裕紀のプロ入りは、1993年のドラフト2位指名でした。逆指名で福岡ダイエーホークスを選びました。

内野手で順調に実力をつけて1995年にはレギュラーを獲得。
2塁手(セカンド)を守りました。このときはゴールデングラブ賞を獲得しています。

その後プロ野球選手としては順調に実績を積んできたのですが、大きなつまずきを見せたのが1997のオフシーズンでのプロ野球界を震撼させた脱税事件。
ここでは有罪になり、試合への出場も停止の処分を受けています。

肩や足のけがもあり3塁(サード)や1塁(ファースト)を守るようになってきます。

ホークスの目玉となっていったのは、小久保 裕紀とチ-ムメイトの松中信彦のアベック弾、この時の勝率は。MK砲といわれ、9割近い勝率となります。

2003年はオープン戦で大けがをし手シーズンを棒に振りジャイアンツへ移籍。
右ひざの故障で前十字じん断裂、内側じん帯損傷・外側半月板損傷、けい骨・大たい骨挫傷という非常におきな怪我でした。

ジャイアンツで怪我から復帰して、4番を務めたり、巨人軍第17代目の主将を務めたりして活躍をしています。
やはりセリーグだとメディアへの露出も多くなり画像や映像、写真、壁紙とか多いはずですね。
2004年には、巨人の右打者としては史上初のシーズン40本塁打を達成しています。

2007年に晴れてホークス復帰。今度は松中信彦、と横浜から移籍してきた多村仁と共にクリーンアップを組みTMK砲といわれています。

小久保 裕紀は人格者でリーダシップがあるのでみんなに慕われる選手なんですね。
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