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稲葉 篤紀 日本ハムファイターズ

稲葉 篤紀(いなば あつのり)選手は日本ハムファイターズの外野手です。
背番号は41番です。
全日本のメンバーに選ばれるなど、球界を代表する打者になりましたが、それよりも印象的なのは、”稲葉ジャンプ”ですね。

稲葉 篤紀 選手が打席に立つと球場全体が揺れます。
応援でファンが一斉にジャンプをするためで、テレビを見ていて地震ではと勘違いするくらいに本当に揺れますね。(一説によると震度3~4くらいといわれていますが・・)

では稲葉 篤紀のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1972年8月3日の生まれです。
出身地は愛知県西春日井郡師勝町で現在は北名古屋市となっています。
高校は地元の野球の名門で全国的にも有名な中京大学附属中京高等学校(中京大中京高校)です。愛知県内で甲子園出場をかけて愛工大名電のイチローと争っていました。


稲葉選手の奇麗なバッティングフォーム。クリックすると拡大してみることができます。

高校ではプロから声はかからず、法政大学へ進学。
六大学野球での活躍などで、日米大学野球の代表に選ばれるなどしました。
1994年のドラフトでヤクルトスワローズから3位指名を受けてプロの道へ入りました。
この時のエピソードして、当時のスワローズの野村監督が息子の克則さんの試合を観戦へ行った時に目にとまってプロへの道が開けたということです。

プロ野球でヤクルトスワローズへ入団してからは、1年目から一軍での出場機会に恵まれ打撃に守備にと活躍を見せ始め、2年目からはほぼレギュラーを獲得。
ヤクルトスワローズの黄金時代を支える選手でした。

プロ10年目を迎えた2004年のオフにはメジャーへの挑戦を目標にFA宣言をしましたが、メジャーの球団からは、声はかからず日本ハムへ移籍することになりました。
そのころはセリーグからパリーグへFA移籍する選手は少なく、稲葉 篤紀選手が2番目なのだそうです。
いまでこそ、パリーグの球団も人気がありますが・・・


↑稲葉選手のサインボール、詳しくは画像をクリックしてください。

この北海道日本ハムファイターズへの移籍は、稲葉本人にとっても成功だったと言えるのではないでしょうか。
日本ハムへ移籍してからは、打撃がさらに向上して2007年には首位打者を獲得するなど常に打率3割をマークするようになっています。
北海道日本ハムのリーグ優勝、日本一にも貢献していますし、パリーグの外野手としてゴールデングラブも獲得しています。

稲葉 篤紀のプライベートの部分はあまり出てきませんが、とても男前な顔ですが大きな特徴としては右頬のあざ(痣)があります。
これは生まれついての物のようですが、それさえもなんとなくかっこよく見えてしまいます。

これだけの人気選手でイケ面なのですが、独身です。彼女とかはいないのでしょうか。
稲葉選手はヤクルト時代に一度結婚しているのですが、離婚してしまったのだそうです。
いろいろ事情はあるみたいです。
そんなことがトラウマになっているのかもしれません。。

北海道日本ハムファイターズの稲葉 篤紀 選手、プロへ入っておおきな怪我もなく長く活躍をつづける選手です。
日本ハムでプロ野球選手としての骨をうずめる覚悟のようです。
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