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井口 資仁 千葉ロッテマリーンズ

井口 資仁(いぐち ただひと)は千葉ロッテマリーンズに所属する内野手です。
背番号は6番。
4年間のメジャーリーグでのプレーを経て、再び日本へ戻ってきました。
メジャーである程度活躍できた野手として初めて日本球界へ復帰した選手となると思います。
ロッテにとって井口 資仁の背負う番号6は、3冠王を何度もとった落合博満や初芝清などがつけていたもので、マリーンズの期待の大きさもうかがえますね。

↑井口の画像がたくさん。クリックして法則を確認してみてください。

井口 資仁のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1974年12月4日生まれです。
出身地は東京都田無市で、現在は西東京市となっています。
身長が176cm 体重が91㎏と体格的にはそんなに大きいわけではないですね。
出身高校は國學院大學久我山高等学校 (国学院久我山)で野球の名門校で甲子園も一度出場しています。
青山学院大学へ進学。
高校時代は全国的に目立った活躍などは見せられませんでしたが、大学時代の活躍は目覚ましく全日本大学野球選手権大会優勝など数々のタイトルを獲得、自身も東都リーグの3冠王を獲得するなど一気に全国に名をとどろかせる存在となりました。

1996年にはアトランタオリンピック野球日本代表として銀メダルを獲得し、プロ野球チームの井口 忠仁 獲得合戦もヒートアップしました。
最終的には、福岡ダイエーホークス(現 ソフトバンクホークス)を逆指名してドラフト1位指名となりました。契約金1億円、年棒1300万円で契約。

プロ一年目から一軍での出場はしますが、期待されたほどの活躍は見せられない状態でした。デビューこそ満塁本塁打を放つなど華々しいものでしたが・・・
本当にプロで活躍できたのは2003年シーズンからといってもいいでしょう。
それまでは打撃がどうしても安定せず、打率は2割台中盤程度までしか行きませんでした。


井口 忠仁は2004年シーズン終了後、メジャー志向もあり自由契約となり、アメリカを目指します。
2005年にシカゴ・ホワイトソックスへ入団、開幕戦より2塁手で出場、打順も2番で定着して活躍、チームもワールドシリーズ制覇を果たします。
いきなりチャンピオンリングを手にします。

2007年はシーズン途中で、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍、2008年はサンディエゴ・パドレスと契約、シーズン終盤に戦力外の通告を受け再びフィリーズに戻るなど複数球団を渡り歩きました。

2009年はFA(フリーエージェント)で、メジャーと日本の複数の球団と交渉を行い、最終的に井口 資仁は千葉ロッテマリーンズを選択日本球界復帰となりました。

井口 資仁はメジャーでの経験を生かして、日本の野球ファンにどんなプレーを見せてくれるのでしょうか。
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