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和田一浩 中日ドラゴンズ

和田一浩(わだ かずひろ)は中日ドラゴンズの外野手です。
背番号5番。

バッティングが特に素晴らしく、高い技術を持っています。その独特な打ち方は和田選手ならではと言えるでしょう。
右打者で、生涯の通算打率が3割を超えています。
まだもちろん現役ですので、最終的にどうなるかはわかりませんが、3割ぎりぎりラインじゃないですからたぶん大丈夫でしょう。
そんなに足が速い方でもありませんから、内野安打などではなく純粋にたくさんヒットを打っているということになります。

では、和田一浩 選手のプロフィールを見ていきましょう。
生年月日は1972年6月19日生まれで、身長182cm 体重 90kgです。
出身地は岐阜県岐阜市です。
右投げ右打ちです。

出身高校は県岐商(岐阜県立岐阜商業高校)で、甲子園にもたびたび出場する伝統のある名門校ですね。マラソンの高橋尚子さんも同じ時に高校へ通っていました。


↑今や貴重な和田選手の捕手としての姿です。

そして大学は東北福祉大学でしたがドラフト会議で名を呼ばれることはありませんでした。社会人野球へ進み神戸製鋼で活躍、そこでの実績が認められて1996年についに西武ライオンズから4位での指名がありました。
捕手としての指名です。
このときの背番後は22番。

プロ入り一年目の1997年から一軍出場の機会はありましたが、基本的に代打での起用です。
なぜならこのときはすでに正捕手として絶対的な伊東勤 選手がおり、捕手として出場の機会を得るということはとても困難な時期に当たっています。

そのバッティングセンスというか技術はすでに定評があり、出場機会を増やすために2年目の1998年から外野手としても出場するようになります。
1999年も同じような状況が続きます。
基本的に捕手としては、伊東 中島に次ぐ3番手の状態でした。
そんな状態でも打率3割を超えてくるのは、驚異的なことですね。


↑和田選手の200号ホームランの時の画像です。独特の打撃フォームです。


和田一浩にとって転機となるのは2002年の伊原春樹 監督のときでしょう。
守備位置を外野手一本にしぼり、西武ライオンズの中軸打者として活躍、レギュラーを獲得ました。

その後のはシーズン中に調子を落とすことはありましたが、シーズン終わってみれれば打率3割を打っているというような状態で、完全に日本を代表する打者となりました。
2005年にはパリーグの首位打者もとっています。

背番後は2000年から5番となっています。

FA権を2007年シーズンに獲得、地元で憧れだった球団中日ドラゴンズへ移籍します。
2008年シーズンはセリーグのピッチャーに慣れるまで少し苦しみましたが、打率はしっかり3割を超えました。

外野手としては、守備はそんなに下手ではありませんが、足は速くないので守備範囲はあまり広くありません。
肩は捕手であったこともあり強いです。

今の和田選手を見てるいと、松坂大輔とバッテリーを組んで組んでいたことがあるということがとても不思議な感じがします。

和田一浩 選手 ニックネームはベンちゃん とか ビッグベンで同姓の和田勉さんから来ています。

あと外見的な特徴が・・・
頭に毛(頭髪)がないんですね。
本人はあまり気にしていないのことですが、プロとしての活躍を見るとそれもトレードマークのような感じも受けます。
アデランスなんて必要なしという潔い態度です。

プライベートとして、2004年に結婚して2007年に第一子が誕生しています。

独特の高い技術のバッティングを武器に、まだまだ和田選手の活躍は続きそうです。
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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

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